2023年の目標
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
こういうことはあまりやらないけど、ここ数年時間が経つのが早いと感じているし、隙あらば、ぼーっとしがちなので毎日を大切に生きるためにも、1年間の目標を立てることにした。
それぞれの目標は『ぜったい無理ではないけど、頑張らないとできないもの』『習慣化していきたいこと』に意識してみました。
1年間は仕事を辞めない
いきなり最低目標だと笑われるかもしれないが、ジョブホッパーのわたしからすると、数年同じ仕事、職場で頑張っているひとは相当すごい。わたしはすぐ辞めたくなっちゃう。
案の定、去年仕事を辞めてしまったので(辞めたことは全く後悔していないが)、新しい職場では辞めずに頑張りたいと思う。
TOEIC800点とる
新しい職場が800点以上だと資格手当がプラスでもらえるので、お給料を上げるモチベーションとして頑張りたいと思う。
2〜3ヶ月に1回受験、毎日コツコツ単語と過去問を勉強していく予定。
世間にはTOEIC無意味論者も多いが、何やかんやまだまだキャリアアップに強い。
中国語の勉強を毎日少しずつでもやる
わたしには、生涯で母国語を除いた3言語は話せるようになりたいという野望がある。
将来使えそうという下心から、中国語を選んでみた。
単語アプリのゲームを、2週間前くらいから、ぽちぽちやっている。
本当はちゃんと勉強しないといけないと思うけど、まずは続けることから。
あとひとつの言語は未定。
最終的に英語は、月と六ペンスとグレートギャツビーを原文で読めるようになるという目標がある。何回も挫折しているので、いつかは。
健康的な食生活で毎日過ごす
健康診断で悪玉コレステロール値が高いということで、再検査の予定。
体重も増え、過去にダイエット記事も書いたのに、見事にリバウンドした。
お医者さんから、「ベーコン、ウインナー、卵、鶏肉を控えてください」と言われたのは、わたしにとっては死刑判決に近かった。あまりに絶望的な顔をしていたのか、お医者さんが「とっても問題なく、頻度や量の問題です。毎回鶏肉だったのを豚肉に変えたりしたらいいんですよ」
と、急いでフォローしてくれた。
アドバイスどおりにしようと思う。野菜もたくさんとっていきます。
週1ジョギング、宅トレを毎日少しでもやる
上記と重複するが、健康のために始めてみた。
改めて筋トレを頑張りつつ、有酸素運動も大切だと思うので、まずは週1でジョギングを始めたいと思う。
ジョギングは思ったよりキツイ。でも走り始めの風を切る感じ、気持ちいい。走った後の充実感がすごい。
まだ10分しか走れないので、もっと距離と時間を伸ばしていきたい。
まずは継続、そこから週2、3回と増やしていきたい。
本を月1冊は読む
休みの日に本を読めるというのは、ストレスバロメーターのひとつだと思っている。
プライベートや仕事がうまくいってないときは、読書に全く集中できないのだ。
去年はほとんど本を読まなかった。下半期に、必要に応じて仕事関係や転職の本を読んだ程度だった。
今年は無意味なもの、小説やジャンルにこだわらずに、気になったものを乱読していきたい。結果的に1冊読了できたらいいな。
blogは月1〜2回更新を目標にする
前回の記事にも書いたが、やはり日々のことはすぐに忘れてしまうので、自分の記録用としても、書いていきたいと思っている。
あと単純に文章を書くのは楽しいし。
読んだ本や見た映画、美術展の感想も書いていきたい。
来年、目標達成の報告ができたらいいな。
贅沢なタイムカプセルとブログの更新について
留学や海外旅行で美術館に行ったとき、
「なんか、あの絵気になるな」と近づいてみると、ピカソの作品だった、ということが多々あった。
まるで、ピカソの作品にだけスポットライトが当たっているかのようである。
ありとあらゆる画家がいる中で、わたしはピカソがいちばん好きだ。
先日、『ピカソとその時代ベルリン国立ベルクグリューン美術展』を見に行った。
ベルリンの美術館の修繕工事に伴い、作品が世界中を巡るらしく、今回の展示は日本からスタートしているのだと冒頭で解説していた。
日本ではなぜだか、これまでピカソの展覧会は開催されていないように思う。
わたしは小学生の頃から美術の展示を見に行っているが、記憶にもピカソ展の広告を見たことは、一度もなかった。
わたしはそういう経緯から、ピカソは日本で人気がないと思っていたので、展覧会の入場者が多く、また若い世代やカップルで見に来ている人が多かったのは意外であった。
ピカソの展示自体が珍しいということだけでなく、最近ぽつぽつ増えてきた、写真撮影が許可されているのも新鮮に感じた。
若者たちが、パシャパシャとスマフォで撮るのはもちろんのこと、一人で来ていたお婆さんも、プルプル震える手でガラケーを抑えながら、集中して写真を撮っていたのも、印象的で心が和んだ。
そういえば、中国人のともだちが日本に来たとき、「絵画展がこんなに静かなんて信じられない。写真も撮れないんだね」と驚いていたことを思い出した。
今だったら、もう少し気楽に見て回れるよと、ともだちが日本に来る際は伝えようと思う。
展示されていたのはピカソ数点、マティスやクレー、ブラック等で、
美術商でありアーティストでもあったハインツ・ベルクグリューン氏が集め寄贈したコレクションの一部が展示されていた。
彼はナチスのユダヤ人迫害から逃げるため、亡命をした経緯があるからか、第二次大戦前から戦後までの時代で描かれた、どことなく仄暗い作品が多い展示であった。
冒頭の他に、ピカソの好きな点を他にも挙げるとしたら、スケッチの素晴らしさも理由の一つだ。
一筆書きのように、軽やかに、まるでハミングしているかのように描いた線だが、その線には膝の関節、出っ張った骨の位置など的確に捉えているのである。
ピカソのスケッチを見ると、天才と言われる所以がよくわかるのだ。
また、新しい画法を編み出しただけでなく、他の画家の画法やスタイルを躊躇なく真似しているにも関わらず、模倣で終わらず後世に残っているところがすごい。
実際に「ピカソのあの絵は、〇〇の作品に似てるな」といことも多々ある。
柔軟で人間臭い天才なのだ。
展示の後半に、見覚えのあった作品が目に入った。
タイトルはHead of a woman。キュビズム全盛の1909年に発表された彫刻である。
ゴツゴツした頭部に深い目のほりと鋭い鼻が特徴的な顔と、全体的に黒く光っているような質感が印象的な作品だ。
その作品を見た瞬間、わたしはニューヨークで留学したときのことを一気に思い出した。
寒い時期に三回も観に行った、MOMAのピカソの彫刻だけを集めた特別展に、その作品もあったのだ。
当時身につけていたニット帽も服装も、少しホームシックで寂しくてよく街中をうろうろしていたことも、MOMAの向かいにあった、屋台のことも、ルームシェア先の一階で流れていた曲も、あまりに些細でこれまで忘れていたことが雪崩のように頭に流れてきた。
贅沢なタイムカプセルだ、と思った。
わたしは当時見た、ピカソの彫刻展の作品を世界中で見るたびに、頭の端々にあった留学の記憶を思い出していくのだ。きっとこの先も同じことが起きるのだろう。
これからは、美術展でまだ見ぬ新しい物を見て知っていくだけでなく、作品を通して、作品をみた初見の頃の思い出に浸ることができるのだと思った。
同時に、当時の辛かったことや感動したことをじぶんが忘れていてショックだった。
ブログを再開した理由は、どんどん忘れてしまう日々のことを、記録しておきたいと思ったからである。
そのとき思っていたことをフリーズドライしてとっておきたいと思ったのだ。
たまに開けて、眺めたいと思った。
人生は壮大な暇つぶし。
今後は1ヶ月に1、2回は頑張って更新したいと思う。
内向型人間へおすすめのNetflixオリジナルドラマ6選
2022年にわたしがハマったNetflixオリジナルドラマを紹介したいと思う。
わたしがドラマをみはじめてから、3日以内に全話一気見したドラマに限定。
わたしのような、休みの日はひたすら家にいる、一人の時間大好き、人と会うと疲れる、暗い重い映画を見て内容について延々と考え込むような内向型人間にぜひおすすめしたい。
内容がわかりやすいように、個人的に系統が似ていると思う映画もそれぞれ挙げてみました。ぜひ参考にしてみてください。
- フィアーストリートPart1 1994
ストレンジャーシングス、ITが好きなひとにおすすめ。
いきなりドラマではないが、3部作なのでオッケーということで。
Part1がいちばんお気に入り。冒頭で主人公が同性の女の子に失恋をし、バスの中で聴くレディオヘッドのI'm creapがとても良い。
creapは英語でキモいという意味。歌がストーリーに関係あるのはよくあるが、本作も同様。だけど選曲が良すぎる。ぜんぶ見終わったあと、1ヶ月はリピートして聞いていた。
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真夜中のミサ
ゴシックホラー映画系、ダビンチコード・天使と悪魔が好きなひとにおすすめ。
また、わたしはマシュー・マコノヒー主演のトゥルー・ディテクティブが大好きで。あのドラマのような、アメリカの閉鎖的な片田舎で起きるサスペンスがたまらなく好きなので、わたしと同じツボのひとは見てほしい。
中盤でまさかの展開。一気に最後まで見てしまいました。
愛していれば、何をしてもいいのか、信教ってなんだろうと考えてしまうドラマだった。
- ダーク
プリデスティネーション、メッセージが好きなひとにおすすめ。ドイツのドラマ。SFサスペンスかな。
最初の5話分はかなりスロー。
でもそこから一気にストーリーが動き出す。
(大体周りに勧めると5話分も我慢しないといけないのかと突っ込まれて、だれも見ていない)
それぞれの家族が一つの事件をきっかけに絡み合っていく話。
登場人物が各々じぶんたちの家族のために動くんだけど、それが空回りしていく様がもどかしい。しかもぐっちゃぐちゃに自分勝手に動くから、展開がぜんぜん読めない。
ダークの主題歌もまた最高で、フィアーストリート同様サントラを1ヶ月以上ループしていた。
ぜんぶ見終わった後、主題歌を今一度聴いてみてほしい。泣きそうになる。
ブレードランナーが好きな人向け。
海外のゲームのアニメ化だそう。
資本主義が進み、企業が街を支配する社会で起きる近未来アクション。
誰のために生きるか、なんのために生きるのかがテーマ。
キャラクターがどんどん死んでいくので、展開が読めず、夜中に一気見をしてしまった。
死に様もそれぞれかっこよくて、滅びの美学満載。
この悪の権化である企業が、日本の会社のような気がする。
そういえば80年代後半は日本がバブルでブイブイ言わせていた時期だったよなと思い出した。
今じゃ全然なのが悲しいけど。
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イカゲーム
今際の国のアリス、デスゲーム系が好きなひとにおすすめ。
同僚もハマっていた。
だるまさんがころんだなど、昔馴染みのある遊びでデスゲームをしていくって、あるようでなかったよなーと感心した。デスゲームにありがちな複雑で制約がいくつかあるルールを覚える時間もないという点が、一気見の要因である。
韓国の格差社会とデスゲームの相性が良すぎる。かなしいけど。
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わかっていても
うーん、近い映画が思いつかない。
というのもわたしはほとんどラブストーリーの映画やドラマを見ないからだ。
美大に通う主人公が明らかに好きになっちゃいけないモテ男の同級生にハマっていく話。
よくある内容、でも映像が美しく主人公がひたすらかわいい。
誰しも経験したことがあるような、相手は好きじゃないけど、じぶんは大好きという、辛い恋愛あるあるのオンパレードでしんどくなるけど、どうなるか気になって最後まで一気見。
失恋後に見たら、最高に泣けるかも。めちゃくちゃ傷口に塩塗る行為で絶叫しそう。
おしまい。
近いようで遠い国のともだち
中国のコロナ対策に対してのデモが、上海と北京で起きたと報道されていた頃のはなし。
わたしには留学中に知り合った、中国人のともだちがいる。
むかし以下の記事で書いた、東京に遊びにきた二人のともだち。
https://noguchiyo06.hatenadiary.jp/entry/2018/04/25/192412
中国でこんな大々的にデモをやることはないし、まさしく、ともだちが住んでいる場所だったこともあり、心配になって久しぶりに連絡してみることにした。
日本人はLINEだが、中国人はWeChatで基本的にやりとりする。
セキュリティも厳しく、一年ログインしていないとアカウントが凍結されてしまう。
なんとかアカウントを作り直し、まずは北京のともだちに連絡してみた。
なぜ北京のともだちからなのかというと、リベラルで柔軟な子で、Instagramをやっていて、相互フォローしているからだ。
中国ではInstagramもFacebookも基本的に使えないのである(なんでその子がアカウントを作れたのかは不明)。
DMで連絡を取り合うと、彼女は「まだコロナ政策で大変だけどなんとか大丈夫。ずっと家に引きこもっているよ」とのことで、無事で安心した。
そのともだち経緯で、上海のともだちのWeChatのアカウントを聞き、早速メッセージを送ることにした。
上海に住むともだちは、わたしより少し年上でちょうど一人っ子政策真っ只中生まれ。もちろんその子も一人っ子だ。
学生時代はフランスに留学し、フランス語も英語も堪能。自国の自虐ネタもたくさん言うユーモア溢れる子である。
北京のともだちと同じような文言を送った。
が、その子からきた返信は予想外のものだった。
「上海のデモ?それってUrumuqI Roadにあったってやつかな?
ぜんぜんニュースになるほどのことじゃなくて、それともだちから聞いてわたしも知ったんだよね。
最近欧米の考え方に釣られる人々がいるから、偏った報道がされてんじゃないかな。
政治はぜんぜん問題ないよ。」
わたしはじぶんの手足が氷のように冷たくなっていくのを感じていた。
一人っ子政策真っ只中に生まれ、フランスの大学へ留学ができる。
それって中国の富裕層だ。
きっと国政を支持、もしくはご両親が直接関わっている可能性があることを、今更ながらに気がついた。
わたしは留学をしたこともあるし、他国の文化を理解し尊重しているつもりだった。
だが、それはある一面、わたしがみているものだけに過ぎかなかったのだ。
スクリーン一枚隔てているだけ。その子のことは、わたしはよく知っていると思っていたが、画面の向こうが何も見えなくなったようだった。
ほんとはずっと曇りガラスで、その先は真っ黒で、元々見えてなかったのだ。
幸いなことに、この一件で彼女との友情が崩れることはなさそうだった。
実際にあのメッセージがきたあと、
「そっか。中国でそういう、デモとか見たことなかったからびっくりしちゃった。大袈裟にしてごめんね、変わらないことを知れて、今日はよく眠れるよ」
と送りわたしは話題を切った。
そこからお互いの近況報告をし、コロナが落ち着いたらまた会いたいね、買い物楽しかったよと話したり、お互い冗談を言い合い、数日に及んだやりとりが終わった。
お隣の国は、物理的には近くても、地球の裏側ほどの距離がある。
多様性って、他国の文化を真に知るって、難しいことなのだ。
コロナが明けたら、上海と北京にいるともだちに会いに行こうと思う。距離が少しでも縮まったと感じられたらいいな。
ダイエットとYouTubeとキューピーちゃん
ここ1年間で8キロの減量に成功した。
きっかけはほんの些細なこと。わたしが接客しお客さんを見送ったあと、同僚がわたしに、「後ろ姿似てますね」と言ってきたのだ。
似ている、というのはさっきまでわたしが話していたお客さんのことである。
その方はべつにふくよかなわけでもないのだが、どことなくムチっとしていた。
後ろ姿、というのが絶妙だった。
お腹、二の腕、二重顎など、日頃鏡やともだちと撮った写真でじぶんの体型をチェックできるが、背中というのはなかなかじぶんで見る機会がない。
なるほど、ああいう感じなのかわたしは。
初めて客観的にじぶんの背中を見た気がした。
同僚は悪気はなく、ただ見たままを言っただけなのだろう。
けれど、ダイエットを決意しては挫折する日々を過ごしてきたわたしが、本気で痩せてやろうと決意する十分なきっかけになった。
そもそも、ムチっとしているとじぶんで分かっていたのに、なぜこれまで痩せれなかったか。
小さい頃、母はわたしのことを「キューピーちゃん」とふざけて呼ばれたことが時々あった。
理由は「お腹がキューピーちゃんみたいにぽっこり出ていた」からである。
今の時代だと色々問題がありそうなあだ名だが、そこは母からの、日常で惜しみなく与えられる愛で上手くコーティングされ、傷つくことはなかった。
しかし、それは「わたしは元々ぽっこりお腹の体質なのかも」という、なんの根拠もない思い込みにつながり、ダイエットするうえでの大きな弊害になった。
ダイエットはまず、家でできる簡単な筋トレから始めた。
信号が点滅しても、ぜったいに走らないわたしだが、家で数分だけする筋トレはぜんぜん辛くなかった。
飽き性なので、YouTubeで筋トレ動画を探して数日続け、飽きて、違うYouTuberの筋トレ動画をやるということを延々繰り返しできたので、いつでも新鮮な気持ちで筋トレができるのだ。
YouTubeがある時代に生きてて良かった。
さらに、ネットでおいしいプロテインも見つけて、筋トレからプロテインを飲む習慣ができた。
つぎは食事。
初めの頃は、糖質制限・夜は炭水化物を抜く、もしくは糖質ゼロ麺を食べるということをしていた。
が、壊滅的に向いていなかった。
ご飯を抜いた夕飯はすぐにお腹が空いたし、
糖質ゼロ麺を食べると「これは紛い物だ」という考えが頭から離れなかった。置き換えのはずが、気持ちはずっと糖質にあったのだ。虚無だけが残った。
置き換えは無理だとわかったので、食べなくても困らないものをやめることにした。
白米はぜったいにやめられないと分かっていたので、かわりにパンをやめた。糖質が高く、すぐお腹が空くからである。
揚げ物もやめた。大好きなベーコンやソーセージは…控える。それらはどうしても、やめられなかった。たまになら良しとした。
タンパク質をしっかり取ることに気をつけ、食物繊維もたくさんとるように意識した。
正直、わたしは野菜はメインの添え物にすぎないとずっと思っていた。実家でサラダというと、キャベツを千切りにしたものに市販のドレッシングをかけるだけだったのだ。
じつはキューピーちゃんのお腹は、糖質と脂質と添加物でできていたのだった。
野菜をどうやって、おいしく食べられるか。
またもわたしはYouTubeを頼った。
すると、サラダをおいしく食べる方法という動画を見つけた。
そこで説明されていた通り、レタスは洗い、手でちぎったあと、サラダスピナーで水気を切り、数分冷蔵庫に冷やしてみた。
味付けは、塩胡椒とビネガーとオリーブオイル。
ものすごーくフレッシュでおいしかった。
それは数年前、オーストリア旅行に行ったとき。どのレストランでよく出てきた、なんてことない、レタスだけなのにいくらでも食べられるサラダ。その味だった。
そこから、野菜はおいしくなる調理方法を知っていれば、いくらでも食べられることを知った。にんじんや玉ねぎはよく炒めるととても甘くなることが分かった。
野菜がおいしいんだと気づいたのは、ダイエットをしていちばん、良かったことかもしれない。
最後はダイエットをするときの環境について。周りのひとに言うかどうか。
ネットで調べてみると、これが賛否両論であった。
ダイエットをしているということで、おかしや食べ過ぎているときに「ダイエット中でしょ」と叱咤してもらえるという意見や、ダイエットを阻止されそうになった、足を引っ張られたという意見も見受けられた。
思い切って、わたしは職場の人たちに「ダイエットをします」と宣言することにした。
すると、「ダイエットわたしもしようと思ってます」と言うひとや、YouTubeのおすすめ筋トレ動画を教えてくれるひとまで出てきた。
これまで気づかなかったが、同志は近くにいたのだ。
さらに予想外だったのが、いかにもリーダーという感じの、じぶんにも他人にも厳しいマネージャーが健康オタクだったことだった。
クールでいつもは雑談にぜんぜん入ってこないのに、急に話に入ってきて、いろんな知識や食材の栄養素、効果など教えてくれた。
ダイエットっていうのはすごく一般的でだれにも通用する話題なんだなと学んだ。
情報はあればあるほど良い。じぶんに合うものを選べば良いのだ。
周りのひとのアドバイスや情報源からオートミールを食べるようになり、体重は順調に落ち、周りから痩せたねと言われるようになった。目標体重も達成。キューピーちゃんを卒業。
ミッションコンプリートである。
これからさらにダイエットを頑張るかどうかは今のところは決めていないが、リバウンドはぜったいに防ぎたい。
この記事を、未来のわたしに残したい。
空気が読めない人間
他人に興味がないひとの処世術
社会人何年目かになってくると、「他人に興味がない」と断言するひとが、意外に多いことに気づく。
その言葉を聞くたび、わたしははっとしてしまう。
よく言われていることかもしれないが、他人に興味がないと公言するひとは、実は他人に興味がある場合が多い。
正確にいうと「他人から見てじぶんがどう見えているか、気になっている(興味がある)」に近い。もしくは「自分と性格や趣味が合わないひとには興味がない」パターンだ。
正直、わたしは先述したどちらのパターンにも当てはまらないので、その発言を聞くと「それ、言って大丈夫?」と勝手にハラハラする。
絶対に隠すべきことだと思っているからである。
現代社会から距離を置いた孤高の職人でもないかぎり、世の中にある大概の仕事は他人とコミュニケーションし、協力し合わないとできない。
フリーランスだって、受注した案件のクライアントとうまくやりとりをしないといけない。
もし、他人に興味ないと言ってしまったら、確実に仕事をし辛くなるだろう。
公言しているひとたちは、何故だかどこか誇らしげで羨ましい。
正確に言うと、わたしは他人に興味がないと言うよりも、相手がどんなひとか聞かなくてもわかることが多々あるのだ。
ファッションや身振り手振り、口癖やよく話す話題でなんとなく、こんな感じのひとかなと予測がつく。
ひとが日常的に発している情報は、ことば以外にもたくさんあるのだ。
実際に相手のイメージで趣味を当てることが多いので、ちょっとした特技かもしれない。
多様にみえて、ひとは意外とカテゴライズされているのだ。
他人に興味があるふりができたらいいが、わたしは嘘をつくことが苦手なので、ぜったいできない。
そんなわたしの唯一の処世術は、一度相手から趣味や嗜好品を聞いたら、覚えておくことだ。
クライアントへは特にである。
例えば雑談の流れで「〜好きって言ってましたものね」「そういえば最近〜したんですか」と言うだけで、「よく覚えてましたね」と喜んでもらえる。
ひとが喜ぶ顔を見るのは嬉しい。
相手に聞きたいことは特にないので、職場では、中身のないトークを繰り広げることに注力している。
当然相手もわたしに興味がないと思うからだ。
しかし、天気とか芸能人のゴシップとかニュースの話とかそういった話を好まないひともたくさんいるようである。
わたしが自分の話をしないことが、逆に興味をそそられるのか、変わり者扱いされているのか定かではないが、同僚の誰かしらに根掘り葉掘り聞かれて、結果いつのまにか全員に広まっているのだった。
彼氏ができたことを知られたとしたら、次の日には全員に広まる。
一方で、周りから尊敬されたいという承認欲求が強いタイプに、いつもわたしは嫌われる。昔からである。
予想するに、そういうタイプにとって褒めてくれない、自分を持ち上げてくれないわたしのような人間は悪なのだ。
無関心は敵なのである。
何人か会うと今となってはもう初対面でわかるので、仕事に支障がないよう、ある程度コミュニケーションはとるものの、できるだけ関わらないようにしているが、わたしが遠ざかるほど、相手は近づいてくる。
業務の相談していないのに、アドバイスやダメ出しをしてきたり、わたしの経歴を根掘り葉掘り聞いてくるのだ。不思議である。
いっそじぶんを捨てて、褒めたり持ち上げたりできたらいいのにと思うが、嘘をつけないので、そんなことは到底できない。
それに、そんなことをしたところで、白々しくて相手にすぐバレてしまうだろう。
どうにかうまくやっていく方法はないか、いまだに模索中である。