のぐちよ日記

映画、本、アート、日々のことをちまちまと。

空気が読めない人間

これまで生きてきて、わたしの性格について、ひとからよく言われるのは「真っ直ぐだ」ということと、「変わっている」ということだ。

じぶんではよくわからない。

ポジティブに捉えると、芯があるということかもしれない。面白がられたりすることもあるが、大体において損をしている気がする。

特に仕事において、他のひとが「こういうものだろう」と諦められることに、わたしは理解できなくて、絶対ああした方がいいのにと意見を言ってしまうのだ。
その意見が通ったり、現状が改善されることもあるが、大概は変わらない。

わたしが自己中心的なのかというと、そうでもないようだ。みんな同じ不満を抱えている場合が多い。

ただ、みんなは手を抜くところは抜いたり、変わらないところは仕方ないと、割り切れているようだった。

周りのひとや上司に「そんなに頑張る必要ないよ」とか、「完璧を求めても仕方ない」と言われるが、じぶんでは全くそのつもりはないし、そこまで仕事にモチベーションは高くはない。

例えるなら、みんなは長距離マラソンで体力を維持しながら走っているのに、わたしひとりだけ短距離走だと思っていて、全速力で走り、息切れして文句言っているようなものだ。

ひとりだけ方向性を間違えているようで、正直かなり恥ずかしい。

ラソンであるなら、距離がこんなに長いなら、事前に言って欲しいのに。

けれど、みんなは誰に言われたわけでもなく「だってそういうもんでしょ」と自然に理解しているように見える。
周りの雰囲気で察するようである。

おそらく、わたしは周りの空気が読めなくて、融通が効かない人間なのだ。

みんなどこかで柔軟に場面で物事の見方を変えているのだが、わたしにはそれが全くできない。

器用に生きているみんなの話を聞くと、羨ましい気持ちとともに、「じぶんが死ぬときに、悔いを残さず死ねるか」という考えもよぎる。

わたしの物事の判断基準はいつも死に際のじぶんが、じぶんの一生を誇れるかということなのである。

自分に正直でありたいものの、一々仕事でめくじらを立てて意見を言う無意味さも感じる。

最近、転職が頭によぎる。

しかし社会は、会社は、そういうものなのかもしれない。じぶんが変わるしかないような気がする。

どうしようかなあ。