のぐちよ日記

映画、本、アート、日々のことをちまちまと。

旅に出る 青の新潟・十日町市編 1

新幹線から降りると、原っぱの匂いがした。

ちょうど稲が青々と揺れる季節である。原っぱのような匂いは、一面に広がる稲の匂いだったのだ。

コロナ前に東京から新潟へ移住した友達が、浦佐駅の改札の外で大きく手を振ってくれているのが見えた。日焼けした肌と痩せた体以外は、何も変わっていなくて安心した。

たった数ヶ月の留学で仲良くなった友達とは、もう何年もの付き合いになる。お互い全く異なる仕事や環境に身を置いていたのに、それぞれ同じことを思っていたり感じていたりしていたことが、出会った当初話していくうちに分かって、一気に仲良くなったのだった。
久しぶりの再会で、友達が運転する車の中、仕事の愚痴や、近況など、さまざまなことをお互い話した。

話の合間にふと車の窓の外を見ると、新潟らしい景色のひとつ、赤褐色のアスファルトが見える。

豪雪地帯では、雪を溶かすために、道路から水が出る仕組みになっているのだそうだ。

前回新潟にきたのはコロナ前、長岡花火を見た夏であった。久しぶりにまた来れたことに、なんだかとても嬉しくなった。

目的地であった清津峡はお盆の時期のため、予約制であった。次の日に行くとして、目的地変更。
フレキシブルに旅程を変えられたのは、地元民民である、友達がいたおかげだ。

縄文文化の展示している小さい博物館、それから、科学博物館「キョロロ」にいった。
特に、キョロロ見どころが多くて面白かった。
まず外観がディストピアのような塔なのだ。

朝になったら、あの塔から起床の音楽とスピーチが流れる。小説、1984年を思い浮かべながら妄想が膨らむ。

科学館には爬虫類、虫等展示されていた。
なかでも、カブトムシの展示小屋はすごかった。
東京では、デパートでカブトムシが虫籠に一匹ずつ売られているところしか見たことがなかったので、カブトムシが無造作にうようよいるスペースはかなり異色だった。
子供たちが、オス同士を戦わせていた。子供って無邪気で残酷である。

だれもカブトムシを踏み潰さないようにと願いながら小屋を出た。

向かいにすぐあったのは、新潟の数年間の降雪量を表した展示である。

ニュースで聞いたことのある、数メートルの積雪が、実際はこんなに高いのかととても驚いた。

真冬になると、除雪車が日に三回程、ともだちの家の前を通るのだそうだ。
除雪車がない時代はどうやって暮らしていたんだろう。全く想像ができない。

今度は蝶の標本の展示へ行ってみた。

アフリカで生息する蝶は、鮮やかで大きく、対してアジアの蝶は、シックな柄でサイズも小さいことに気がついた。
その土地ごとの花に模して、蝶の柄も変わっていったのだろうか。

この展示は、すべて新潟出身である志賀夘助という方の寄贈だそうだ。
終戦後、瓦礫の下敷きになっていた標本の釘が、青く錆びていたのを見て「絶対に錆びない釘を作る」と思い立ち、実現をしたすごい人なのだそう。今でも世界中でシェアがある、と書いてあった。

蝶の展示の先にあるのは、あのディストピアの塔へ登る階段だ。

暗い階段を登っていく途中に、友だちと一緒に行った香港旅行を思い出した。

夜景を見にいくツアーで、最後こんな急な階段があったよね、そう友達に話しかけると、「あったあった。あのとき私たちだけ待ち合わせ遅れちゃったよね。あと夜景見る前のモノレール、めちゃくちゃ列抜かされたよね」。
わたしがすっかり忘れていた細部まで、よく覚えている。素晴らしい記憶力。友達には、くれぐれにも酷いことを言わないように気をつけようと思った。

上に登ってみたら、風に揺れる田んぼが見えた。

まるで巨人が、毛足の長い絨毯をゆっくり撫でているようだった。

きれいだね、と話しながらふと左側を見ると、駐車場が目に入った。
駐車スペースがたくさんあるのに、きっちり綺麗に車を詰めて留められている。
これぞ日本人だね、「前へならえ」の賜物だわ、と冗談を言い合いながら、塔を降っていった。

次に向かったのは美人林。
美しいブナの林が並ぶ名所である。
丁寧に手入れされている林だからか、無機質な美しさで、獣の気配のない明るい森である。
ルネマグリットの、白紙の委任状を思い出した。

林を散策してびっしょり汗だくであったところに友達が「温泉の銭湯行こうか」と提案してくれた。最高。早速向かうことにした。
地元の人が訪れるような、ローカルなスーパー銭湯であった。露天風呂があり、そこからは青々とした山々が見えた。

湯船に浸かってリラックスしていたら、泣いている赤ちゃんを抱っこしたお母さんがいた。
泣いている赤ちゃんと目が合う、ともだちとわたしがあやして泣き止む、目を逸らすとまた泣く、また赤ちゃんと目が合う、あやして泣き止むが数回繰り返された。

抱っこしていたお母さんが「ありがとうございます」と小さく微笑んでいた。

赤ちゃんを育てるってすごいなあ。じぶんが育てるなんて、まだぜんぜん考えられないな、とのぼせそうな頭でぼうっと考えていた。

長湯に浸かったからか、空腹に耐えきれず、変な時間に晩御飯を食べることにした。
チャーシューラーメン。
これがめちゃくちゃおいしかった。しかも800円。東京だったら、1200円くらいするんじゃなかろうか。とろとろチャーシュー、しみしみ味卵、あっさり醤油スープ、最高であった。

食事処のテレビで、台風のニュースが流れていた。鳥取の港が映り、強風で海が大きく波打ち、停めている船がゆらゆらと揺れていた。
今年の8月の2週間は沖縄から始まりずっと台風が鎮座していたような気がする。

スーパー銭湯の食事処で、台風のニュースを見ながら、昔ながらの素朴なラーメンを、友達と一緒に食べる。

友達ほどの記憶力はないけれど、なぜかわたしはこのときのことを、この先もずっと覚えいられる気がした。


帰り道、友達が「星峠の棚田が通り道だから、見に行こう」と言った。大河ドラマ天地人のオープニングでも使われた美しい棚田なのだそう。
夕暮れ時、いちばんいい時間じゃないかともちろん承諾した。

無事到着。田んぼが美しく、鱗みたいだった。

自然とともに生きる。長い年月そうやってこの町の人々が暮らしてきたことがとても尊く、美しいものに見えた。

近くにコーヒースタンドを見つけ、コーヒーを飲みながら散歩しようということになった。
おしゃれで小さな店内。フレンドリーで明るい若い男性の店主がお喋りしながら、コーヒーを淹れてくれた。
このお店と近くにコワーキングスペースのキャンプ施設も運営していると教えてくれた。
そういえば通りかかったよね、と友達と目を合わせた。

新潟の十日町市は、キョロロなど現代アートの建物や展示、美術館が点在する町なのだそうだ。
若い世代の誘致に成功し、伝統と新しいものとのバランスが取れた素晴らしい町だと知った。

キリッとした味のアイスコーヒーを飲みながら歩く景色は最高だった。早朝もまた気持ちよく、美しいんだろうなと思った。
帰りのドライブは、天地人のテーマ曲を流した。

夜はスーパーへお買い物し、おしゃべりしながらスナックをつまむことにした。前回の長岡旅行から大好きな、新潟の枝豆。
友達が茹でてくれた。身が大きくて味が濃くておいしかった。

友だちの家は、昔大家さんが別荘として使用していた家なのだそうだ。大きくてしっかりした作りの一軒家だった。

わたしは生まれも育ちも都会なので、地方の夜がかなり怖い。気のせいかもしれないが、日中よりも野生動物の気配を強く感じる気がするからだ。
大きな窓の外には、グレー色の夜空が広がっていた。窓の近くにある大きな黒い木の影が揺れていた。見えるのは、その木の影のみだ。ガサガサ揺れるたび、少し怖かった。

自然の暗闇に直面するたび、いつかSFのように世界が崩壊したり、大地震が起きたらわたしは真っ先に死ぬ、サバイバル能力ゼロの人間だといつも実感する。

外、真っ暗で何も見えないねとわたしが言うと、友達は
「そうだよ。朝起きたら、辺り一面よく見えるようになるよ」とのほほんとした雰囲気で言った。

そりゃそうか。なるほど、朝起きるのが楽しみだなと思い直した。
そしたら気持ちがやわらいで、そのあと1時間ほど友達とおしゃべりをして、眠った。