のぐちよ日記

映画、本、アート、日々のことをちまちまと。

贅沢なタイムカプセルとブログの更新について

留学や海外旅行で美術館に行ったとき、
「なんか、あの絵気になるな」と近づいてみると、ピカソの作品だった、ということが多々あった。
まるで、ピカソの作品にだけスポットライトが当たっているかのようである。

ありとあらゆる画家がいる中で、わたしはピカソがいちばん好きだ。

先日、『ピカソとその時代ベルリン国立ベルクグリューン美術展』を見に行った。

ベルリンの美術館の修繕工事に伴い、作品が世界中を巡るらしく、今回の展示は日本からスタートしているのだと冒頭で解説していた。

日本ではなぜだか、これまでピカソの展覧会は開催されていないように思う。
わたしは小学生の頃から美術の展示を見に行っているが、記憶にもピカソ展の広告を見たことは、一度もなかった。

わたしはそういう経緯から、ピカソは日本で人気がないと思っていたので、展覧会の入場者が多く、また若い世代やカップルで見に来ている人が多かったのは意外であった。

ピカソの展示自体が珍しいということだけでなく、最近ぽつぽつ増えてきた、写真撮影が許可されているのも新鮮に感じた。

若者たちが、パシャパシャとスマフォで撮るのはもちろんのこと、一人で来ていたお婆さんも、プルプル震える手でガラケーを抑えながら、集中して写真を撮っていたのも、印象的で心が和んだ。

そういえば、中国人のともだちが日本に来たとき、「絵画展がこんなに静かなんて信じられない。写真も撮れないんだね」と驚いていたことを思い出した。
今だったら、もう少し気楽に見て回れるよと、ともだちが日本に来る際は伝えようと思う。

展示されていたのはピカソ数点、マティスやクレー、ブラック等で、
美術商でありアーティストでもあったハインツ・ベルクグリューン氏が集め寄贈したコレクションの一部が展示されていた。
彼はナチスユダヤ人迫害から逃げるため、亡命をした経緯があるからか、第二次大戦前から戦後までの時代で描かれた、どことなく仄暗い作品が多い展示であった。

冒頭の他に、ピカソの好きな点を他にも挙げるとしたら、スケッチの素晴らしさも理由の一つだ。
一筆書きのように、軽やかに、まるでハミングしているかのように描いた線だが、その線には膝の関節、出っ張った骨の位置など的確に捉えているのである。
ピカソのスケッチを見ると、天才と言われる所以がよくわかるのだ。

また、新しい画法を編み出しただけでなく、他の画家の画法やスタイルを躊躇なく真似しているにも関わらず、模倣で終わらず後世に残っているところがすごい。
実際に「ピカソのあの絵は、〇〇の作品に似てるな」といことも多々ある。
柔軟で人間臭い天才なのだ。

展示の後半に、見覚えのあった作品が目に入った。
タイトルはHead of a woman。キュビズム全盛の1909年に発表された彫刻である。
ゴツゴツした頭部に深い目のほりと鋭い鼻が特徴的な顔と、全体的に黒く光っているような質感が印象的な作品だ。

その作品を見た瞬間、わたしはニューヨークで留学したときのことを一気に思い出した。

寒い時期に三回も観に行った、MOMAピカソの彫刻だけを集めた特別展に、その作品もあったのだ。

当時身につけていたニット帽も服装も、少しホームシックで寂しくてよく街中をうろうろしていたことも、MOMAの向かいにあった、屋台のことも、ルームシェア先の一階で流れていた曲も、あまりに些細でこれまで忘れていたことが雪崩のように頭に流れてきた。

贅沢なタイムカプセルだ、と思った。

わたしは当時見た、ピカソの彫刻展の作品を世界中で見るたびに、頭の端々にあった留学の記憶を思い出していくのだ。きっとこの先も同じことが起きるのだろう。

これからは、美術展でまだ見ぬ新しい物を見て知っていくだけでなく、作品を通して、作品をみた初見の頃の思い出に浸ることができるのだと思った。

同時に、当時の辛かったことや感動したことをじぶんが忘れていてショックだった。
ブログを再開した理由は、どんどん忘れてしまう日々のことを、記録しておきたいと思ったからである。
そのとき思っていたことをフリーズドライしてとっておきたいと思ったのだ。
たまに開けて、眺めたいと思った。

人生は壮大な暇つぶし。

今後は1ヶ月に1、2回は頑張って更新したいと思う。