のぐちよ日記

映画、本、アート、日々のことをちまちまと。

旅に出る 青の新潟・十日町市編 1

新幹線から降りると、原っぱの匂いがした。

ちょうど稲が青々と揺れる季節である。原っぱのような匂いは、一面に広がる稲の匂いだったのだ。

コロナ前に東京から新潟へ移住した友達が、浦佐駅の改札の外で大きく手を振ってくれているのが見えた。日焼けした肌と痩せた体以外は、何も変わっていなくて安心した。

たった数ヶ月の留学で仲良くなった友達とは、もう何年もの付き合いになる。お互い全く異なる仕事や環境に身を置いていたのに、それぞれ同じことを思っていたり感じていたりしていたことが、出会った当初話していくうちに分かって、一気に仲良くなったのだった。
久しぶりの再会で、友達が運転する車の中、仕事の愚痴や、近況など、さまざまなことをお互い話した。

話の合間にふと車の窓の外を見ると、新潟らしい景色のひとつ、赤褐色のアスファルトが見える。

豪雪地帯では、雪を溶かすために、道路から水が出る仕組みになっているのだそうだ。

前回新潟にきたのはコロナ前、長岡花火を見た夏であった。久しぶりにまた来れたことに、なんだかとても嬉しくなった。

目的地であった清津峡はお盆の時期のため、予約制であった。次の日に行くとして、目的地変更。
フレキシブルに旅程を変えられたのは、地元民民である、友達がいたおかげだ。

縄文文化の展示している小さい博物館、それから、科学博物館「キョロロ」にいった。
特に、キョロロ見どころが多くて面白かった。
まず外観がディストピアのような塔なのだ。

朝になったら、あの塔から起床の音楽とスピーチが流れる。小説、1984年を思い浮かべながら妄想が膨らむ。

科学館には爬虫類、虫等展示されていた。
なかでも、カブトムシの展示小屋はすごかった。
東京では、デパートでカブトムシが虫籠に一匹ずつ売られているところしか見たことがなかったので、カブトムシが無造作にうようよいるスペースはかなり異色だった。
子供たちが、オス同士を戦わせていた。子供って無邪気で残酷である。

だれもカブトムシを踏み潰さないようにと願いながら小屋を出た。

向かいにすぐあったのは、新潟の数年間の降雪量を表した展示である。

ニュースで聞いたことのある、数メートルの積雪が、実際はこんなに高いのかととても驚いた。

真冬になると、除雪車が日に三回程、ともだちの家の前を通るのだそうだ。
除雪車がない時代はどうやって暮らしていたんだろう。全く想像ができない。

今度は蝶の標本の展示へ行ってみた。

アフリカで生息する蝶は、鮮やかで大きく、対してアジアの蝶は、シックな柄でサイズも小さいことに気がついた。
その土地ごとの花に模して、蝶の柄も変わっていったのだろうか。

この展示は、すべて新潟出身である志賀夘助という方の寄贈だそうだ。
終戦後、瓦礫の下敷きになっていた標本の釘が、青く錆びていたのを見て「絶対に錆びない釘を作る」と思い立ち、実現をしたすごい人なのだそう。今でも世界中でシェアがある、と書いてあった。

蝶の展示の先にあるのは、あのディストピアの塔へ登る階段だ。

暗い階段を登っていく途中に、友だちと一緒に行った香港旅行を思い出した。

夜景を見にいくツアーで、最後こんな急な階段があったよね、そう友達に話しかけると、「あったあった。あのとき私たちだけ待ち合わせ遅れちゃったよね。あと夜景見る前のモノレール、めちゃくちゃ列抜かされたよね」。
わたしがすっかり忘れていた細部まで、よく覚えている。素晴らしい記憶力。友達には、くれぐれにも酷いことを言わないように気をつけようと思った。

上に登ってみたら、風に揺れる田んぼが見えた。

まるで巨人が、毛足の長い絨毯をゆっくり撫でているようだった。

きれいだね、と話しながらふと左側を見ると、駐車場が目に入った。
駐車スペースがたくさんあるのに、きっちり綺麗に車を詰めて留められている。
これぞ日本人だね、「前へならえ」の賜物だわ、と冗談を言い合いながら、塔を降っていった。

次に向かったのは美人林。
美しいブナの林が並ぶ名所である。
丁寧に手入れされている林だからか、無機質な美しさで、獣の気配のない明るい森である。
ルネマグリットの、白紙の委任状を思い出した。

林を散策してびっしょり汗だくであったところに友達が「温泉の銭湯行こうか」と提案してくれた。最高。早速向かうことにした。
地元の人が訪れるような、ローカルなスーパー銭湯であった。露天風呂があり、そこからは青々とした山々が見えた。

湯船に浸かってリラックスしていたら、泣いている赤ちゃんを抱っこしたお母さんがいた。
泣いている赤ちゃんと目が合う、ともだちとわたしがあやして泣き止む、目を逸らすとまた泣く、また赤ちゃんと目が合う、あやして泣き止むが数回繰り返された。

抱っこしていたお母さんが「ありがとうございます」と小さく微笑んでいた。

赤ちゃんを育てるってすごいなあ。じぶんが育てるなんて、まだぜんぜん考えられないな、とのぼせそうな頭でぼうっと考えていた。

長湯に浸かったからか、空腹に耐えきれず、変な時間に晩御飯を食べることにした。
チャーシューラーメン。
これがめちゃくちゃおいしかった。しかも800円。東京だったら、1200円くらいするんじゃなかろうか。とろとろチャーシュー、しみしみ味卵、あっさり醤油スープ、最高であった。

食事処のテレビで、台風のニュースが流れていた。鳥取の港が映り、強風で海が大きく波打ち、停めている船がゆらゆらと揺れていた。
今年の8月の2週間は沖縄から始まりずっと台風が鎮座していたような気がする。

スーパー銭湯の食事処で、台風のニュースを見ながら、昔ながらの素朴なラーメンを、友達と一緒に食べる。

友達ほどの記憶力はないけれど、なぜかわたしはこのときのことを、この先もずっと覚えいられる気がした。


帰り道、友達が「星峠の棚田が通り道だから、見に行こう」と言った。大河ドラマ天地人のオープニングでも使われた美しい棚田なのだそう。
夕暮れ時、いちばんいい時間じゃないかともちろん承諾した。

無事到着。田んぼが美しく、鱗みたいだった。

自然とともに生きる。長い年月そうやってこの町の人々が暮らしてきたことがとても尊く、美しいものに見えた。

近くにコーヒースタンドを見つけ、コーヒーを飲みながら散歩しようということになった。
おしゃれで小さな店内。フレンドリーで明るい若い男性の店主がお喋りしながら、コーヒーを淹れてくれた。
このお店と近くにコワーキングスペースのキャンプ施設も運営していると教えてくれた。
そういえば通りかかったよね、と友達と目を合わせた。

新潟の十日町市は、キョロロなど現代アートの建物や展示、美術館が点在する町なのだそうだ。
若い世代の誘致に成功し、伝統と新しいものとのバランスが取れた素晴らしい町だと知った。

キリッとした味のアイスコーヒーを飲みながら歩く景色は最高だった。早朝もまた気持ちよく、美しいんだろうなと思った。
帰りのドライブは、天地人のテーマ曲を流した。

夜はスーパーへお買い物し、おしゃべりしながらスナックをつまむことにした。前回の長岡旅行から大好きな、新潟の枝豆。
友達が茹でてくれた。身が大きくて味が濃くておいしかった。

友だちの家は、昔大家さんが別荘として使用していた家なのだそうだ。大きくてしっかりした作りの一軒家だった。

わたしは生まれも育ちも都会なので、地方の夜がかなり怖い。気のせいかもしれないが、日中よりも野生動物の気配を強く感じる気がするからだ。
大きな窓の外には、グレー色の夜空が広がっていた。窓の近くにある大きな黒い木の影が揺れていた。見えるのは、その木の影のみだ。ガサガサ揺れるたび、少し怖かった。

自然の暗闇に直面するたび、いつかSFのように世界が崩壊したり、大地震が起きたらわたしは真っ先に死ぬ、サバイバル能力ゼロの人間だといつも実感する。

外、真っ暗で何も見えないねとわたしが言うと、友達は
「そうだよ。朝起きたら、辺り一面よく見えるようになるよ」とのほほんとした雰囲気で言った。

そりゃそうか。なるほど、朝起きるのが楽しみだなと思い直した。
そしたら気持ちがやわらいで、そのあと1時間ほど友達とおしゃべりをして、眠った。

元同期Bのプライド

わたしはプライドが高い。とても自覚がある。

常に「わたしの人生の主役は、わたしである」という意識があるので、他人から暇つぶしに眺める動画のような、雑な扱いをされた瞬間、距離を置いたり、すぐに縁を切ってしまう。

ほかのひとの人生、という視点からだと、当然わたしは知人Aであり、友達Bである。
けれど、いかにもそういう存在であることが透けてみえるのは、ぜったいにいやだ。

みんなに好かれなくても、わたしのことを面白がってくれる、ごく一部の友達や周りの人たちに必要とされたいし、お互い対等で信頼し合っている存在だと信じたい。
そして、そういう素晴らしい人間関係を築いてきたという自負がある。

しかし不思議なことに、わたしを雑に扱ってきたひとたちは、マメに連絡をとりたがったり、会いたがるのだ。

相手は、雑に扱っている意識はないのだろうが、純粋に会いたいと思ってくれてるとは感じない。
じぶんと比較する他人のうちの1人という存在、情報の一つとしてわたしを見ているのだと思う。

例えば、学生時代から今まで、特に仲良くもなかった同級生から、急にSNSのフォロー申請がくる時。
「彼女/彼にとって、わたしはいっ時の好奇心を満たす存在なんだな」と感じる。
先日も、そういう感じの同級生2人から、同時に申請がきて、「こいつら絶対飲み会のツマミでフォローしたな」とゲンナリした。
別にその人たちから何か嫌なことをされたわけでもないし、わざわざ波風を立てたくないので、申請の拒否はしない。ただ、せめてものちっさい抵抗で、1日か2日くらいたってから承認するようにしている。

最近であったのは、前職の元同期とのことである。
いろんな話をする仲で、よくみんなで飲みに行ったりランチをした。仲は良かったし、友達だと思っていた。

しかし、わたしが前職を辞めて少し経った頃、その子がSNSで結婚をしたと投稿したのだ。

結婚相手は前職の後輩だった。
同期ほど仲良しではないものの、同じ飲み会に参加したり、数人で遊んだことのある人であったのだ。
付き合っていたこと、結婚すること、ぜんぶそのSNSの投稿から知り、なんでも話せる間柄だと思っていたので、かなりショックだった。

あとで他の人から聞いたところによると、職場のごく一部、別の部署で、同期の結婚相手を知らない人たちには、彼氏がいることも、結婚することも言っていたらしい。

けれど、わたしと同様、同期と仲良かったのに知らなかったという人が数人いたので、わたしだけ知らなかったのか、と落ち込むことはなかった。

「まあ、プライベートのことを話したくない子だったのかな。今までありがとな」と、納得し始めた頃、前職の先輩から、みんなで集まろうと連絡がきた。
もちろん同期も参加する飲み会である。
新たなグループラインのお誘いの通知と、メッセージを受けたとき、正直「いきたくねー」という気持ちしかなかった。

先述の通り、距離を置いていくスタイルなので「新しい職場でスケジュールが合わなそうなので、今回はやめておきます。楽しんでくださいね」と返した。
残念だねーとかそういう、よくある返しが数人からきて、やれやれと思った矢先、
同期から個人ラインで、
「仕事決まったんですね!おめでとうございます!どんな仕事なんですか?」ときたのだ。

えっマジか。

仲良しの後輩と付き合ってたことや結婚したことは一切伏せてたのに、他人のことは知りたがるんだ。
じぶんの情報は秘密で、他人のことは常に把握しておきたいってこと?
てか、わざわざ個人ラインで聞いてくるもの?グループで聞いてもいいのに?
がっつり転職先の詳細聞く気じゃん。

正直ドン引きした。
しかし、すぐにわたしは「ちょっと気になった情報を気軽に読めるフリーペーパーのような存在になりたくない」という意地から「ありがとうございます〜また会う機会があったら話しますよ。」と返したのだった。

同期にとってわたしは、プライベートを明かすほどでもない存在のようだし、わざわざ会おうとは言ってこないだろうと計算してそう伝えたのだ。

だが、同期からは「会いましょう!いつ会えますか?」と返信がきたのである。予想外で驚いた。

わたしが辞めた後、同期も前職を辞め、のちに転職したと本人から聞いた。詳細は聞いていない。

同期は元々噂話が好きで、わたしは彼女からよく職場の同僚や先輩の噂話を聞かされていた。確証はないが、彼女は周りと違うことはしたくないタイプに見えた。
恐らくじぶんの転職先と、わたしの仕事を比べたいのだろう。じぶんの選択が正しかったと思いたいのだろうか。
思えば、噂話好きな彼女が、後輩と付き合うという、いかにも噂話になりそうなことを隠し続けていたのは、興味深いことである。噂するのは好きでも、されるのは絶対に嫌って面白いな。

「忙しい」「スケジュールが埋まっている」、そんな言い訳を繰り返し、もう数回程同期の誘いを断っている。
いい加減諦めてくれないかなと、彼女から遊びの誘いがくるたびに思う。鈍感なのか、距離を置こうとしていることを気づいてるのか..。

どうしてそこまでして他人のことを知りたいのか、正直全く理解できない。
わたしと遊んだ後、彼女は家に帰って旦那になったあの後輩と、「〜さん、いま〇〇してるんだって〜」と話のネタにするのだろうか。
どうでもいい存在に、わたしのことを知られたくない...

そんな妄想に拍車がかかり、じぶんでは手に負えなくなってきたので、彼氏に同期とのこと、お誘いがくることを愚痴ってみた。

「別に付き合ってるとか、結婚するとかわざわざ事前に報告するもんじゃないんじゃない。それに、結婚相手と知り合いだったら、恥ずかしかったりで言いづらかったんじゃないかな。
事前に言われてないだけだし、気にしすぎだよ」と彼は言っていた。

そういうものなのか、普通はみんな気にしないことで、大したことじゃないのか。

そうだ。わたしだって、広い心を持って彼女を受け入れたい。
会いたいって思ってくれてるだけ、ありがたいじゃないか。
忘れないでいてくれて、たまに連絡をくれて。そのうち誘われなくなって、あの時会えば良かったなって後悔するかもしれないし。
一度くらい会ってみても



....

いや、やっぱ無理。ごめんなさい。

彼女との攻防は続く。

6月見に行った映画 ミーガン/リトル・マーメイド

今月は映画を2本見に行った。どちらも良かったのでその感想を書きたいと思う。

◾️ミーガン(M3GAN)


2も制作予定みたい。大人気。
不慮の事故で両親を亡くした少女、ケイティが叔母のジェマに預けられることとなることから、物語が始まる。
子育てロボットの研究・開発者としてバリキャリ、こだわり強めの性格である主人公ジェマ。
ケイティが両親を亡くしたばかりであること、またジェマは子供とのコミュニケーションに慣れてないこともあり、困ったジェマはAIロボットM3GAN(ミーガン)の製作を思いついた。仕事そっちのけで成功させ、ケイティのお世話をロボットに一任させる。
ケイティの友達兼母親として、ケイティを世話するミーガンだったが、徐々に異常性が露見していく、、
というストーリー。

登場人物として出てくるのは、ケイティの両親含め、どことなく嫌な感じのする、無責任な大人たち。チューニングが狂っているバンド演奏を聴かせれてるようだった。ずっと違和感がある感じ。
主人公のジェマだってそう。隣人の飼っている犬がケイティを噛んでしまうのだが、ジェマは警官を呼んできて、さらに犬を殺処分するように訴えるのだ。なかなかイカれてる。
しかもジェマが外壁の塀を修理しておらず、隣の家と隙間が開いているからそんなことが起きたのだった。まず塀を修理したら、と警官に嗜められるのである。その通りだ。

登場人物たちから滲み出るうっすら不快な感じの出し方が絶妙で、少しだけミーガンの味方をしたくなるような、不思議な気持ちにさせられたのだった。

ケイティが元々ホームスクーリングだったり、校外学習のシーンが出てきたり、アメリカの今の教育が出てきて面白かった。
サブのテーマは教育なのかも。

見どころは、いわずもがな予告編でもあった、ミーガンのキレキレダンス&ミーガンが徐々に恐ろしくなっていくところ。

だけど、ミーガンに頼り切りのストーリーじゃなく、ケイティやジェマが他者を受け入れない性格から、徐々に相手を受け入れて優しくなっていく様子もよく表されて良かった。2も楽しみ。

◾️リトル・マーメイド

アラサー女性の2人に1人の実家に、リトルマーメイドのVHSがあると言っても過言ではない程の大人気ディズニーアニメの実写。わたしもドンピシャ世代。そのためあらすじは割愛。

黒人の主人公どうなの?という評判も多いが、わたし的には全然アリだった思う。
理由は、実写の舞台がおそらくカリブ海あたりの島国で、島民はほぼ黒人であり、白人の王子は遭難して流れてきた子であるという設定であることだ。女王も黒人である。

血の繋がっていない子どもという設定から、その負い目と海に対する憧れを抱く王子というキャラクターの内面がよく描けている。また、主人公のアリエルも過保護気味な父の元生活し、人間界に強い憧れを抱いており、お互いが現状の閉塞感と、未知の世界への強い憧れに共鳴し惹かれ合う、というストーリーの流れにつながる。結ばれるのは納得感があるものだった。アニメよりも、キャラクターの内面を丁寧に描けている印象である。
 
それと、アリエルを演じた女優の愛嬌のある表情も良かった。
アリエルは人魚から人間に変身したあと、人間界のことをよく知らないが故に、フォークで髪を巻いたりと、変なことを多々するのだが、主演女優のあどけない顔のおかげで、お茶目に見えてよかった。

あれでザ白人美女だったら、ちょっと怖いかも。(実際にわたしは当時アニメを見ていた時、アリエルの変な行動に子供ながらに引いていたのだった)
あとは何より、あの歌唱力。とにかく素晴らしい。
それから、主人公の地声も可愛くてよかった。

最後のポリコレ全開の感じはちょっと冷めてしまったけど、概ね良かったのではないかと思う。
海のシーンが美しく、アニメの再現性が高かった。
王道ストーリーだし、何も考えずに1人でぼーっと見に行くのもあり。水族館にいる気分になるかも。

以上。

一気見したNetflixオリジナルミステリードラマ

ミステリー•サスペンスドラマは好きで結構見ているけど、つまらないとすぐ離脱してしまう。今回は選りすぐり、今年春頃から全話一気見したNetflixオリジナルドラマを二つ紹介します。

◾️クリミナル

1話完結•全編密室ドラマ。

https://filmarks.com/dramas/7838/11397

犯罪取り調べ専門の部署が、犯人と対話して事件や犯行の経緯、真相を暴いていくドラマ。
1話完結、すべて取り調べ室で行われる会話劇。
場所は取り調べ室固定のため、ほぼ登場人物のアップや引きなどのカメラワークしかない、しかも回想シーンもなし。退屈に見えるが、これがめちゃくちゃ面白くて一気見した。

ユニークなのは、クリミナルシリーズは国ごとでシーズンが分かれており、それぞれを各国出身の監督が手掛けているのだ。

イギリス編はシーズン2まで、計8話。ドイツ、フランス、スペインはシーズン1、4話ずつ。
部門の人員構成はほぼ同じ、女性が部門のトップだが、キャラクターや人間模様は国によってぜんぜん違う。

個人的順位は、一位イギリス、二位ドイツ、三位スペイン、四位フランス。

イギリスはやっぱりすごい。ミステリー、サスペンス本場なだけある。
人物の描写から、さりげなく伏線が散りばめられていて、すべてが最後繋がる感覚がある。とってもロジカル。
移民問題とか、現代の問題を上手に扱っていて、説教くさくなくて良かった。

二位はドイツ。東ドイツ時代の話を持ってくるのはずるい。東ドイツ出身の捜査のずさんさとか、ドラマがありまくる。そこだけでも最高。話はどれもおもしろかった。雰囲気は少々硬めでイギリス寄り。

スペインはとにかく、ぶっ飛んでいた。猟奇的な犯罪もあって、狂ってておもろしかったが、かなり尋問が強引すぎる。
それありなの?って思ってしまうとんでもない展開もあった。
「女は〜であるとニーチェが言った」といったセリフがあって、ジェンダーが厳しい昨今、大丈夫なのかこっちが不安になった。

それから、「スペインは500年前からクソの中にいる」みたいなセリフもあり、ああ、スペインハプスブルク以降ってことか、とすぐ納得した。
やっぱりスペイン人もスペイン•ハプスブルクが黄金期の認識なんだな。個人的に印象的なセリフであった。
1番登場人物たちの恋愛模様に重きを置いているような感じがした。

最下位はフランス。正直あんまり覚えてない。
大体が予想できたストーリーだったし、人物もそこまで魅力的ではなかった。
ただ、女性キャラクターが突発的な行動に出ることが多くて、フランス人は激情型が多いのかもと思った。
トリックもそんなに驚くものはない感じだったな。キャラの性格といい、理論よりも感情を重視するストーリー展開であった。

◾️ブレッチリー•サークル サンフランシスコ

手に届く範囲の正義。

https://filmarks.com/dramas/7879/11460

レッチリーとは、第二次世界大戦時に、政府の暗号学校があったブレッチリーパークのことらしい。実はロンドン編が元にあり、そのスピンオフ作品。ロンドン編はいま配信していないので、見れなくて残念。

元暗号解読部隊にいた、二人のイギリス人女性がメインキャラクター。戦後1950年代の話。
大戦時に不審な死を迎えてしまった同僚の女性と酷似した事件がサンフランシスコで起きる。一連の事件の真相解明のため、ふたりがサンフランシスコへ渡る話。
大体一つの事件につき2〜3話分。中だるみせずにサクサク見れるのが魅力。

戦後の兵士の扱いとか、ベトナム戦争の予兆とか、人種差別の運動など、当時の社会問題を扱う事件が多い。
しかし、メインと周りのキャラクターたちが女性だからか、絶妙に渦中の人々から逸れるのである。
例えば息子が人種差別のデモに参加しているとか、旦那がベトナムへ行くことになったとか、いとこが共産主義者と間違われて警察へ連れてかれたなど。メインキャラクターたちは、実生活は男性の影であること、当時いかに女性の存在感が薄かったかがよくわかる。
身の回りのひとたちが事件に巻き込まれ、主人公たちは首を突っ込むようにして、暗号解読の能力を活かしながら、解決に導いていくのだ。

暗号自体はそんなに難しくないので、トリックが複雑ではないのも魅力の一つである。

とても面白いのだが、ひとつ言わせてもらいたいのは、犯人の動機が自己承認欲求のパターンがいくつかあり、すごく現代的だなあと思う。
当時はもっと、生活に必死だったんじゃないかなと思った。家電も性能良くないから主婦業大変だろうし。
まあ、そんなリアリティ突き詰めても仕方ないし、あくまで現代人が見るものなので、それで良いのかもしれないけれど。

おしまい。

ニューヨークとベーグルと元恋人の話

ニューヨークで短期留学していた頃、アメリカ人と付き合っていた。
日本に数年働いていたこともあり、日本語が堪能な人だった。

ある日、彼とおしゃべりをしていたとき、ふと「アメリカ人が日本に住んだら、なにが恋しくなるんだろう」と気になった。

日本には多国籍料理屋はたくさんあるし、ニューヨーク発のお店もたくさんある。
彼の答えは、意外なものだった。

「食パン。日本のは食パンじゃないよ。アメリカっぽいパンはどこにもなかったな」。

日本の食パンはもっちりふわふわ。
欧米の食パンはカリカリで小さく、硬いのだ。
今でこそ、成城石井やシティベーカリーにありそうだが、当時はそんなに普及してなかったのだろう。

それは逆も然り。
ニューヨークのスーパーやパン屋を探しても、もちもち食パンはなく、あのパンしかない。
トースターで焼いたらさらに硬くなり、バターもうまくぬれずに表面がガリガリと剥がれるタイプのパン。

日系スーパーのパンは高いし、朝食は安く済ませたい。
そんなわたしの願いをかなえたのが、ローカルスーパーの、食パンコーナーの下に陳列していた、ベーグルであった。

ベーグルをちゃんと食べたのは、留学してからである。
かみごたえがあり、弾力のある大ぶりのパン。
しかも5個入りで当時3ドルくらい。
これだ。
そのベーグルを半分に切って、そこに焼いたベーコンや目玉焼きを入れたり、たまにバターとあんこを挟んで食べたりした。
コスパ抜群でおいしいパン。いまでも無性にベーグルが食べたくなる。

元恋人とは、わたしの帰国とともにお別れをして、それっきり会うことはなかった。
たまに更新されていた彼のSNSも、いつからか全く更新されなくなって、フォローしあっている存在を忘れるほど、お互いの関係性は薄れていた。

しかし先日、その元恋人と、日本のとあるイベントで再会する機会があった。

お互いそれぞれの友達や知り合いがいるところで、わいわいした雰囲気の中、お互い変わっていないねとか、最近はどうだとか、仕事はどうだといった話を軽くして、その日はそれっきりでお別れをした。

もうこれっきりか、と余韻に浸っていると、翌日彼から今日帰国すると連絡がきて、そして、わたしに彼氏の有無を聞いてきた。
彼氏がいることを伝えると、「ニューヨークへ戻ってこないの?」と言ってきたり、寂しがったりと、彼はちょっとよりを戻したそうな、甘ったるい空気を出してきたのだ。

もちろん彼氏がいるので、速攻でさらっと断った。
だが、正直、全く心が動かなかったわけではなかった。

彼のジョークやライフスタイルが好きだった。
背がうんと高くて華奢で、フッと声を出した後、無声で肩を震わせる笑い方も好きであった。
意地悪な冗談をお互い言い合うのも楽しくて好きだった。

でもだからといって、よりを戻したいとは思えなかった。
もちろん今の彼氏と別れるなんて考えられないのもあったけれど、自分がニューヨークへ移住して、彼と過ごすということが全く想像できなかったからだ。
想像できたのは、あの硬い食パンの朝ご飯を一緒に食べるところくらい。
ただそれは未来の想像ではなく、あくまで過去の思い出の一部に過ぎなかった。

それは、彼とは未来がないと感覚で理解していたからだ。

アメリカ人は独立心と自由を何より大切にする国民である。
彼には、日本人同士の付き合い特有の甘える・頼るといった概念がないところが、ちょっと冷たく感じることもあった。

わたしが帰国してすぐの頃は、度々連絡がきたこともあったが、「ニューヨークに戻ってこないの?」とは聞いてくるものの、「戻ってきてよ」「一緒に暮らそう」とは絶対言わなかったのだ。
彼には、人生の選択は常に自分自身にある。他人がその選択の影響も、責任を持つべきではない、という姿勢が一貫してあるように思えた。

そのせいか、彼には弱音を吐いたり悪口を言ったりということができなかった。

それと、今回で気づいたことがある。
元恋人である彼と、彼氏がいるのにも関わらず、縁を切れないのは、わたしがアメリカ人でニューヨーカーだったら、こうなりたいという生活を彼が体現しているからなのだ、と。

わたしがなりたかった別のわたしが、おそらく元恋人なのだ。
彼の人生をたまに覗き見していたいような、歪んだ憧れがあり、だから一緒に暮らすという想像ができないのだ。

ニューヨークは今でも好きで、憧れの土地だ。
無性に食べたくなるあのベーグルも、安く売っている。

ほんの数年前までは、日本に売っているベーグルはベーグルじゃない、なんて否定していたが、今はそんな風には思わなくなった。

日本にあるもちもちで様々なフレーバーのあるベーグルもいいじゃないかと思えるようになってきたのだ。
むしろそれってすごくクリエイティブじゃないか。

わたしが段々母国を好きになってきたこともあるかもしれないが、何より、わたしは今の、日本に住むことを決めた自分の選択を気に入っているのだ。

だけど、人生にはifがいくつあってもいいと思っている。
ニューヨークにあのまま暮らすことを決めたらどうなってたか。彼とあのままいたら、とか。
まるで映画のララランドみたいに。

そんな妄想をしていたのも束の間、彼のSNSに今の彼女の写真がアップされていた。

お前、彼女いたんかい。

元恋人の調子の良さと気まぐれに振り回された自分が情けなくておかしくなって、
彼みたいな笑い方で、こっそり笑った。

元同僚が捕まった

先週、桜が見たくてまた京都へ旅行をしていた。

桜はほんとうに綺麗で、とても満足していたのだが、前職の後輩が送ってきたラインから、一瞬で朗らかな気持ちが吹き飛んでいってしまった。

「〇〇さん、覚えてますか。逮捕されて即日解雇されたんですよ」。

後輩も何故捕まったのか知らないとのことだった。ただ、ニュースになっていないのでおそらく軽犯罪なのだろう。

実は元同僚であるその男性は、少しわたしに気があったようで(というとかなりおこがましいが)、わたしがまだ前職で働いていたときに、一度だけご飯に誘われ、食事をしたひとであった。

わたしに気があったようで、という言い方をしたのは、彼がわたしのことを、異性としての好意で食事に誘っているのか、ただ友達になりたくて誘っているのかわからなかったからだ。
断る理由もなかったので、ひとまず食事に行き、その時、好意のあるそぶりを感じてやっと気づいたのだった。
そのあとは、それとなく大人の対応で職場のひととして仲良くしつつも、徐々に距離を置いて疎遠になっていた。

当時はまさか数ヶ月後に犯罪を犯すようなタイプには見えなかったし、特段異常を感じてはいなかった。
ただ、少し不思議なひとであった。

その元同僚の出身大学は世界的にも有名なところで、「何でここで働いてるんだろう」と誰しもが思うような学歴であり、実際に職場のみんながそう言っていた。
さらに、賢いからなのかわからないが、職場のメンバーとは仲良くしようとしなかった。
高学歴と、だれとも仲良くしようとしないところは強すぎる個性となり、「変わり者」とみんなから認識されるようになり、周りとも自然と距離ができていた。

変わり者はわたしのような変わり者(とよく周りに言われる)に惹かれるということだろうか。
今思えばほとんど接点がなく、挨拶や世間話を少しした程度であったのに、何に興味を持ってくれていたのかわからずじまいだ。

あの食事の時は、すでに犯罪をしていたのだろうか。もしくは犯罪の予備軍であったのだろうか。

ついこの前まで一緒に働いていた同僚が、遠く対岸へ行ってしまったような気持ちがした。

それと同時に、犯罪を犯すということは、自分が思っていたより、かなりハードルが低いのだなと知った。犯罪に走るとよくいうが、きっと実際は、気がついたらボーダーラインを超えているものなのだ。
じゃあ、犯罪を犯すひとと、そうではないひとたちの境界線はなんだろう。

おそらく、犯罪を犯すハードルを超えるのは、強い孤独のせいではないかと思う。

家族がいるから大丈夫とか、そういうのではなく、じぶんの考えや性格に共感して肯定してくれる存在が近くにいるか。

大きな出来事がきっかけではなく、いつからかどこからともなくやってくる隙間風のような、ひんやりした疎外感や孤独。
それが長年経って無視できなくなって、「こんなことをしたら、あの人に軽蔑されるかもしれない」、「もう二度とみんなに会えないかもしれない」という、ストッパーになる存在もいないとき、超えてしまうような気がした。

元同僚の彼は、「帰省はコロナの前から、長いことしていない。べつに家族とは仲は悪くない。連絡もたまに取り合っている」と言っていた。
仲悪くもないのに、帰省はしないんだとそのときは不思議に思っていた。

彼はどこかで満開の桜を見ただろうか。
わたしは後輩へ返信を打ったあと、円山公園のベンチでぼんやり、そんなことを考えていた。

ひとり京都ふたたび。

わたしにとって京都は、ひとりでも何度も来たくなる場所である。全然飽きないのが不思議だ。



遠い異国に行くにはまだ十分ではないからいけない、けど手っ取り早く非日常にトリップしたい。そんなときにうってつけの場所である。しかも、三連休なんてとれたときには、真っ先に行き先に思いつく場所だ。


仕事の疲れもあって、三連休初日は京都に夕方到着。勿体無い時間の使い方だけれど、疲れてるのにさらに疲れることはしたくない。時間の無駄遣いが許されるのも、ひとり京都の特権だ。

前回同様、ひとり京都を捗らせてくれるのは、祇園四条駅から徒歩10分、清水寺からは15分ほど、建仁寺の向かいにあるホテル、ザセレスティンホテル京都祇園だ。わたしにとってはちょっと奮発したお値段の宿泊料である。

基本素泊まりなので、ご飯のおいしさは不明だが、立地良しの上に、すぐ足が疲れるわたしには必須の大浴場があるところが気に入っている。

窓の眺めも良い。


前回ひとり京都をしたときに見つけた、大好きなお店、「もしも屋」に今回も来店。
ひとりでフラッと入る雰囲気のお店に、あらかじめ一人予約は恥ずかしい。が、ひとり京都ではぜったいに外せないルートなので、仕方ない。



こちらのお店、Googleマップで泊まるホテル周辺の晩御飯を探していたときに見つけたお店で、ジャンルが「無国籍料理」と書いてあったのに惹かれ予約して行ったのが始まり。今回で3回目。

とりもものレモングラス焼きや、牡蠣の昆布焼きなど、エスニックなのか和食なのか、いやもはやどっちでもいいか、うまいし。となる貴重なお店。野菜の味が濃く、どれも脂っこくないのでたくさん食べても全く飽きないのが最高。
基本店員さんは放置なので、一人で黙々と食べていられるのも、好きなところである。

たらふく食べてよく眠り、
次の日は早く起きて、ともだちと待ち合わせ。

今回会った大阪在住のともだちとは、コロナということもあり、3年ぶりの再会。この度ともだちが結婚をしたとのことで話が聞きたくなり、会うことになったのだった。

建仁寺を通り過ぎて、目的地へゆっくり向かう。

前回は夏の京都にきたが、今回は真冬の京都。
朝は頬が風に刺されるくらい冷たい。
けれど、空には雲ひとつなく、寒寒した青空も澄んでいて、空気が綺麗だった。

待ち合わせは、朝食で有名らしい「喜心」。
お店に着く直前、反対側から歩いてくる女性を見つけた。
タイトなロングダウン、サングラス、ミニスカートを身につけた、懐かしい歩き方の女性。
まさしく今日一日遊ぶともだちであった。
ひとって歩き方は絶対変わらないと思う。思わず「歩き方でわかったよ、変わらないね」と声をかけると、そう?と全然ピンと来てない様子。歩き方なんてじぶんじゃ絶対にわからないのに、わたしはいつも、つい相手に言ってしまう。

お店に入るなり、次々と出される丁寧に作られた朝食。
土鍋で炊いたお米が炊ける前、炊き立て、おこげと段階を経て出されていく。

その合間に湯葉や、魚、漬物が出されながら、わたしとともだちはとめどなく話続けた。
ともだちの旦那さんとの馴れ初め、仕事の話、コロナになった話、新居の話など、話はまだまだ尽きない。
おこげが出たらコースはおしまい。

お店を出たらすぐに向かったのは、銀閣寺である。

哲学の道を歩きながらお互いの3年間について話していた。
ともだちと今回会えてよかったなあと思ったのは、お互いがそれぞれ環境を変えながらそれなりにがんばっていたことがわかったからだ(がんばりすぎず、それなりというのは結構大事な塩梅である)。

前会った時より、更にともだちの日々が充実していることを知れると、より話が楽しくて嬉しくなる。

ともだちが、「銀閣寺、きれいだったけど話しながら歩いてるから、あっという間に見終わっちゃったね」と言った。

次の目的地は、ともだちが一回も行ったことなから行ってみたいという希望で、清水寺に。
本当に行ったことないの?ぜったい忘れてるだけだよとわたしは何回も聞きながらニ寧坂の階段を登っていった。

冬は空が高くて青いからか、清水寺がより壮大に見えて美しかった。

ともだちは念願の清水寺について一言「清水の舞台に飛び降りるどうのって、なんのやつだっけ?」と言った。わたしは、知らんとただけ答え、じゃあお茶しよっかと言ってすぐに降りた。滞在時間30分ほど。

まだ晩御飯には時間があるから、もうひとつ行こうか、ということで朝に通り過ぎた、建仁寺へ。
夏にきたときは、青々としていた庭が、今やその面影がなく侘しい気持ちになった。

中庭を眺めながら、去年の夏ひとりで京都に来た時のことを思い返していた。あのときは仕事を辞めていた期間だったので、青々としていて美しいと思いながらも、次の仕事はどうしようだとか、将来の不安が寄せてくるものを、今は京都だから、帰ったら考えようと必死で押し返していたのだった。
今はどうだろう。ぼんやり考えたのは、明後日、仕事行きたくないということだ。悩みは尽きないものである。
いつのまにか向かいにまわっていたともだちに盗撮されていることに気がつき、我に帰ってともだちの方へ向かった。


夜ご飯は「遊亀」。行き当たりばったりで行ったお店だったがどれも美味しかった。
お酒がすすんでいたからか、写真があまりないのが残念。

「妊活をするから、体冷やしちゃいけないんだよねえ」
ともだちはそう言いながら、熱燗を飲んでいた。
そういう、ともだちの欲張りでお茶目なところが大好きである。

ともだちとは学生時代からの付き合いだ。
むかしから、惚れっぽくて恋多き女であったので、時にはぜったいにやめとけと何度も言って止めた恋愛をしていたこともあった。
結婚した旦那さんはとても温厚で誠実なひとのようで安心をした。
ひとしきり笑って、一瞬静かになったとき、ともだちの横顔を盗み見ると、とても穏やかな表情をしていたのが、印象的であったのと同時に、あらためて良い人と結婚したようで良かったなあと、わたしはほっとした気持ちになった。

シメのお茶漬けの味が薄めなだったので、わたしは醤油を6滴ほど垂らすと、ともだちはかけすぎとゲラゲラ笑った。
濃いめ、とにかく醤油を好む東京の味付けで育つと、京都のシメはたまに薄味すぎるときがあるのだ。修学旅行で茶漬けの味が薄いと醤油をかけて食べていたともだちのことを思い出した。
「鰹のお出汁が美味しいお店が大阪にあるから、一緒に行こうよ。コースで一品ずつ出てくる感じだから、醤油くださいなんて言っちゃだめだよ」とともだちはいたずらっ子みたいに笑いながら言った。受けてたとうじゃないか。じゃあ次回はそこだねと話してお開きになった。

ともだちと解散した時刻は20時になる前。
まだいける。
ひとりではいったのは、コロナの前から来るたびにいこうと思いつつ、タイミングが合わずに行けなかった、「エレファントコーヒー」へ。
暗い細い路地の2階にある喫茶店である。前に歩いていた女の子たちと一緒に来店。
長テーブルのカウンター席は満席であった。おしゃれで若い女の子たちが横並びに座っている。
わたしもミーハーだな、とちょっと恥ずかしくなりながらもコーヒーを待つ。

きた。チョコレート付き。

ア、アロマだ。
飲んだ瞬間に思った。香りが広がっていったのも束の間、キリッとした後味で締め括られる。もう一口味わいたいを続けていくうちにあっという間に底が見えてしまった。
深煎りでパンチが効いているけど、優しい。しっかりダシの味がしながらも、薄味で上品な京料理らしいコーヒーであった。

お酒を飲んだ後で酔っていたからか、わたしは
「コーヒー、とてもおいしかったです。また来ます」と店員さんに言った。内弁慶のわたしは、ふだん絶対そういったことはしない。

店員さんは口元をクッとあげ、しゃがれた低い渋い声で「ありがとうございます。お待ちしてます」とクールに言った。
言われ慣れてる感じがしてさすがだなと思った。
名残惜しい旅行最後の夜を締めくくるのに、最適な一杯であった。


最終日の朝は8時に出かけて、「スパイスゲート」へ朝カレーを食べに行った。
おしゃれな邦楽が爆音で流れる店内。音量合っているだろうか、気になりながら待っていると出てきたのはおしゃれなカレー。

隣にあるスープはカレーになっていて、途中でかけて味と食感の変化を楽しむものだそうだ。
とってもおいしくて、感動した。ひとつひとつの味付けや食感が違くて、食べていくうちに味覚がどんどん冴えていく気がした。
京都は時間がゆっくり流れている気がする。ひとの体感時間がゆっくりだから、時間をかけて凝ったものを作れるんじゃないかな、と勝手に思っている。

チェックアウトまで、ホテルで少し昼寝してお昼頃に新幹線に乗る。
の、前にいづ重の鯖寿司と、西利京漬物を買った。
最初から最後まで食べっぱなしの旅。
今日はこのふたつで、楽しかった京都旅行の余韻にどっぷり浸ろうとしよう。