旅にでる 年末年始・東南アジア編 4(プノンペン行きの飛行機にて)
シェムリアップから首都プノンペン行きの飛行機は、今まで乗ったどの飛行機よりも小さく、乗客マナーは過去最低だった。
搭乗手続きのときなんて、集団が平気な顔して横入りしたり、パスポートをスタッフに見せながら怒鳴っているひとがいたり散々な有様である。
「蝿の王みたいに、飛行機事故にあってどこかに不時着したとして、乗客みんな生き残ったら、最悪な状況になるな」と考えてしまった。
そもそも、不時着する時点で最悪な状況だけれど。
唯一の救いは、小型機ゆえたった1人しかいない客席乗務員が爽やかな男性だったことだ。
すらっとした色白イケメンの顔を眺め、なんとかイライラを抑えることに成功した。
そんな不穏な空の旅も小一時間ほどだ。
真っ暗闇の窓の外から格子状の光が見えてきたとき、着陸態勢になったという機内アナウンスが流れてきた。
離陸前は「外真っ暗で何にも見えないね」と言い合っていた隣の席のともだちは爆睡しており、「首都ってやっぱり夜景がすごいね」と揺り起こして伝えたかったけれど、やめておいた。もう少し、シェムリアップの余韻に浸りたかったのだ。
アンコールワットで初日の出を見た後、わたしたちはトゥクトゥクに乗りランチから残りの時間をパブストリート周辺で過ごすことにした。
ランチは、目をつけていたおしゃれなカフェの二階に決め、窓の外から通りに歩いていく人々を眺める。
早々にニューイヤーから次の飾り付けを変える業者たちが、ゆるゆると作業をしていた。大晦日の昨夜、この通りはきっと大賑わいだったに違いない。
頼んだメニューはカルボナーラ、フライドポテト、そしてカンボジア風の肉炒め。
カンボジアはどの料理も丁度良い味付けで、大体おいしい。濃すぎてたまにのどが痛くなるタイ料理と比べると、口当たりはずっとソフトで食べやすい。
パスタやピザは本格的ではないけれど、おいしいので、どのお店に行っても安心して注文できる。食べ物がおいしいことは、カンボジアの大きな魅力だと思う。
(アンコールワットの観光中に食べたお店。クメールスープがとてもおいしかった。)
本格ジェラートのおしゃれなカフェもあった。甘すぎずで想像以上のクオリティである。コーヒーはどこで飲んでもおいしくて、わたし好みの濃くてきりっとした味でよかった。
ひとつ言いたいのは、カンボジアには無糖の緑茶が全くないことである。
わたしは海外にいっても大概日本料理を恋しくならないタイプなので、意外な発見だった。
次回行くときは、キャリーケースにティーパックや粉末タイプを入れるのを忘れないようにしたい。
パブストリートの近くに位置するオールドマーケットを見て周ることにした。
規模は小さいが、商店の細い通路を歩いて行くと、さらに奥へ奥へと広がっている。
ざっくりと食べ物のエリア、宝飾品エリア、雑貨エリアでまとまっていた。
料理が大好きだったら、スパイスを買って帰りたかなあと思った。ともだちのお土産にしても、どれをあげたらいいのか分からないのでやめておいた。
お土産はもっとちゃんと分かりやすいものを買おうということになり、雑貨エリアで選ぶことにした。
どうやらカンボジアの観光客は日本人が多いようだ。オールドマーケットに限らず、どのショッピングエリアでも「買って~」と日本語で声をかけられた。
雑貨と宝飾品エリアでの写真がないのはそのせいである。立ち止まると客引きの声をかけられて大変なのだ。
バービー人形のようなショッキングピンクのリップを付けた、黒髪のかわいらしい女性販売員も、例に倣い人懐っこく話しかけてきた。お店の雑貨が可愛かったので、買うことにする。
じつはカンボジアに来てから、初めての買い物そして値切り交渉だった。だが相手はプロだ。商売上手な女性販売員はニコニコしながらかわしてくる。
したかなくわたしは最後の切り札をつかう。
「あのね…今日がシェムリアップ最後の日なの…」そう言うと、わかったわよ!と仕方ないわねと笑いながら言い、少しだけ負けてくれた。
相場はもっと安いのかもしれないけれど、満足する買い物であった。ともだちは「その言い方、ほかでも使えるね」とにやにやしていた。
パブストリート近くにある、おしゃれな通り。短い距離だがアジア、ヨーロッパ発の服飾雑貨店が並ぶ。
オールドマーケットから橋を超えたところに、ナイトマーケットが開催されるエリアがある。
滞在中一度も夜行かなかったので、様子は分からないがお昼は閑散としていて怖かった。
閉園した遊園地のような雰囲気で不気味だ。
行きの飛行機に乗り遅れたわたしたちは(100パーセント航空会社のミスだけれど)念には念をと、余裕をもってホテルにもどり、空港に行かなければいけない時間まで待たせてもらうことにした。
ホテルスタッフに「まだ早いよ。空港へは1時間前に行けばいいんだよ。マーケットでご飯食べてきたら?」と言ってくれたが、わたしたちは聞かなかった。行きの飛行機が相当トラウマになっていたのである。
じっと待っていたけれど、わたしたちは退屈していたわけではない。思い出話に花が咲き、今度きたらあそこへ行きたいと盛り上がっていた。
そうしていると、滞在中お世話になったトゥクトゥクおじさんが傍にやってきて「プラザ、プラザ」と言ってきたのだ。
「プラザってなに?」と聞き返すと、トゥクトゥクおじさんは恥ずかしそうにホテルのフロントへ助けをもとめに行き、スタッフがああ!と言った。「なんだろう」とじっと見つめているわたしたちに向かって「あなたたちのブラザーって言っていますよ」と通訳してくれた。
ああ!ブラザーね!と理解し、照れていたトゥクトゥクおじさんにたくさんお礼を言い、一緒に写真を撮りお別れした。
気さくなホテルスタッフとも写真を撮り、握手をしようと手を出すと、彼はおずおずと両手でわたしの手を握った。
トゥクトゥクおじさんが呼んでくれたタクシーに乗り込み、空港へ向かう。彼とはともだちなんだ、とタクシードライバーは言った。海外旅行の移動は緊張するけれど、そのときだけはゆったり世間話をすることができたのだった。
ホテルの受付スタッフも、トゥクトゥクおじさんも、街の人もみんなシャイで心優しくていいひとばかりだった。
道を聞くと丁寧に教えてくれるし、例え言葉が通じなくてもニコニコと笑いかけてくれるのだ。
着陸前の首都の夜景を眺めながら、きっとシェムリアップほど、心温かい人々に出会えないだろうなと思った。
そして彼らの親戚の中には、ポルポト政権の犠牲者がいるはずなのだ。
明日はこの旅いちばんの目的、トゥールスレン虐殺博物館へ行くと決めていた。