旅にでる 年末年始・東南アジア編 3(アンコールワット/密林に浮かぶ楽園)
クメール語で「寺院のある都」という意味を持つ*1アンコール王朝は、11世紀に最盛期を迎えた大帝国である。
王は威厳を保つため、天界と地上を結ぶ唯一の存在であると国民にアピールし増築を繰り返し生まれたのが、アンコール巨大寺院群であり、アンコールワットである。
不思議なのは王が仏教、インドからきたヒンドゥー教とでいくたびも信仰を変えていたことだ。それも、何代にわたってである。
建築様式が宗教によって変えているので、混ぜるというか、完全に改宗しているという印象である。素直というか、流されやすかったのだったのだろうか。
時代は前後するが中世ヨーロッパでは、おなじキリスト教でもカトリックとプロテスタントの宗派で宗教戦争が起きるほど、宗教の違いは争いの元なのだ。
宗派どこか宗教も軽々超えてしまうところに、カンボジアのおおらかさを感じる。
おおらかさ、と言っていいのだろうか。ガイドブックによると、じつはこんな膨大な建築群は作る側にもまあまあ無理があったらしく、お披露目の日までに見えるところだけやって、見えないところはそのまま放置した跡が残っているそうだ。
ある種のいい加減さが、500年もの長い間繁栄できたのではないかと思う。
せっかくだから、アンコールワットだけでなくその周りの遺跡群も見ようということになったので、入場券売り場で62ドルで3日券を買った。
顔写真を写され、それがプリントされたパスチケットだ。なかなかうまくできている。
ホテル専属のトゥクトゥクドライバー(通称トゥクトゥクおじさん)は信用できそうだし、送ってもらったついでにそのまま、ツアーをしてもらうことにした。
ドライバーは背が高く、色黒ですこしふっくらした見た目をしていた。
黒髪薄毛のオールバックでほお骨が高く、目はきりっとしているので、顔だけ見るとちょっと貫禄のあるこわもてだが、中身はチャーミングであった。
ガタガタの道路を通るたび大きく揺れる車体に、わたしとともだちがギャーギャー騒ぐ姿をちらりと振り返り、いたずらっぽく笑うようなひとなのである。
見た目から想像ができない、少年のような心を持つおじさんドライバーをわたしたちは気に入り、滞在中ほとんど利用したのだった。
トゥクトゥクおじさんに「暑いからお水を持っていきなよ」と座席の椅子下にあるクーラーボックスから、小さいペットボトルを渡された。ツアーのサービスに入っているらしくありがたい。一度だけでなくたびたびお水をくれたので、熱中症にならずに済んだ。
アンコールワットに行く前に、いくつかの遺跡群を見て回った。
今となってはひと続きの廊下のようだが、当時は部屋ごと扉で仕切られていたのかもしれないなあと思った。
岩で作られているからか、どの建物も迫力がある。
印象的だったのは、遺跡までの道のりで売られていた影絵である。
デザインをニードルで跡をつけ、打ち付けていく。
牛革をつかったレザークラフトといったところである。
黙々と作業する少年を興味深く覗き込むと、彼はすぐさま「これは4ドル」と、きちんと商売し始めた。
カンボジアのマーケットや路面店は、値札はなく言い値で販売されていることが多い。
東南アジアはそういったところが多いけれど、カンボジアも同様である。
タイに行った時、最高にぼったくる商人が多いなというイメージがあるが、カンボジアはまだまだ良心的だ。
そういうちょっと押しの弱さが、わたしがカンボジアを好きなポイントでもある。
誰も住まなくなると建物は急速に衰えていくものである。岩の宮殿は、建設時立派だった分、その崩壊がすさまじい。
建物の間から成長するガジュマルの木。
二年ほど前の沖縄旅行で寺院を見学したときのことを、わたしは思い出していた。
ガイドの方が、ガジュマルの根を指差しながら「この木は、根をはると建物を崩壊させるほどの力があるので、民家の傍にはぜったい植えないんですよ」と言っていたのだ。
まさに、その光景が今目の前にあると思うと不思議でならなかった。蒸し暑さのせいなのか、長い年月と生命力を感じたからなのか、少しめまいがした。
最後に訪れたのは大きな川とその周りに広がる密林に堂々とたたずむ寺院、アンコールワットである。
建物の中へは、もとからあった橋ではなく脇にある簡易的な浮き橋から渡るようになっている。ひとつひとつパネルを組み合わせた、面白いつくりだ。
歩くたびに揺れるのが楽しくなって、橋自体が揺れるように、足を横に振りながら歩いていると、ともだちに「危ないから」と注意された。
反対方向からきた子供たちも同じことをしていて、ふと我に返ってやめる。
向こう岸につくと、あの世界遺産が間近に現れた。
ふと土筆が三本生えているみたいだなと思った。その発想は罰当たりなのかもしれない。
アンコールワット内部は大きな岩の回廊が続いている。その中央や端に階段があり、上に昇っていけるようになっているのだ。
夕日が沈みだしたことに気が付き焦って見て回っていたものの、頂上につづく急こう配の階段の門が閉められていることに気が付いた。
時刻は17時半。クローズの時間である。
わたしは少し離れた位置から、門の前に立っている若い男性警備員に向かって、ちいさく手を合わし「お願い(中へ入れてくれ)」とジェスチャーをしてみた。
気づいた警備員が「ダメ」と首を横に振る。また懲りずに「お願い、お願い」と、同じジェスチャーをしてみる。
あきれ半分、はにかみながら「ダメ、ダメ」と彼はさらに首を振った。言葉の壁を超えた瞬間である。
仕方ないので、次の日リベンジすることにした。
早朝4時半。目が覚めると年は明けていた。
寝ぼけまなこで、ともだちと簡単な新年のあいさつをし、トゥクトゥクに飛び乗り再びアンコールワットへ。
お目当てはアンコールワットごしに昇る、初日の出である。
5時半近くに到着すると、あたりは真っ暗でしんとしていた。
街灯のない真っ暗闇から、徐々にあの三本土筆が姿を現し、肌寒かった地面がじりじりと熱気を帯びだす。
今日もまた、カンボジアの真夏の暑い一日が始まるのだ。
けれどその日の太陽は、わたしたちにとっては今年最初で、一年に一回だけ訪れる特別なものだった。
こんなご利益のある初日の出は、世界中どこにいっても見つからないなあと考えながら、ゆっくり登る太陽をただじいっと眺めていた。
何代もの王たちも、素晴らしい朝日を宮殿から眺めたのだろうか。
見上げるものは太陽くらいしかないような、あの回廊のてっぺんで。
まさに孤高の存在である。当時の国民は、ほんとうに王のことを神様だと信じていたのかもしれないなと思った。
大河のように続いていくかに思われたアンコール王朝だったが、アヤタヤ王朝*2の侵略により、終わりを迎えた。
そしてながいながい、侵略と崩壊の歴史に向かっていったのである。