長岡のこどもたち 2
「新潟にはね、三代花火って呼ばれているのがあるんだよ」
そうともだちのお母さんがそう教えてくれた。
続けてどこと、どこと、どこだよと場所を説明をしてくれたが、ぜんぜんピンと来ていないわたしに、
「長岡は川だけど、他の花火は海と山でそれぞれ上がるんだ」。
ともだちが付け足した。
レジャーの定番スポットをすべてつかって開催するなんて、新潟のひとたちはほんとに花火が好きなんだなあと思った。
そのひとつ、海で開催される花火大会は、企業ではなく一般市民がお金を出してあげる花火らしい。すごく面白い。
「『〇〇家に今年子供が生まれました!これからも繁栄を願って!』とか、超個人的なメッセージを流すんだよね。だからさあ、その土地の人々はそれぞれ世帯で花火貯金をしてるんだって」
クックっと笑うお母さんを見ながら、わたしはなんてハートフルな行事なんだろうと思った。
一瞬の美しさのために日々お金を貯めるか、毎日の生活を豊かにするために日々お金使うか。
市民がみんなそうじゃないだろうけれど、花火貯金の存在は、地元のひとびとの根本的な価値観を知れた気がした。
二日目の花火はともだちとふたり、土手でレジャーシートとクッションをひいて見た。
もう二日目が終わってしまう。
花火が打ち上がるたび、もう終わってしまうよ、とうろたえるわたしに、ともだちは「あと、一年待ったらまた見れるよ」そう言った。
その日は花火の跡、煙までくっきり見えた日だった。
それはまるでわたしのような、終わりを惜しむ人々のためにおまけで余韻を残してくれているようだった。
二日目もフェニックスは上がった。
そもそもの始まりは、中越地震の復興祈願が始まり出そうだ。
長岡空襲を祈った三尺玉のように、国の災いが起こるたび、祈祷の演目が増えていくといのことはある意味、悲しい歴史の積み重ねである。
ただそれと同時に、毎年花火が上がるということは、ひとびとが乗り越えてきたという証だ。
長岡のひとにとって花火は「また来年もがんばろう」という背中を押してもらう意味合いもあるのかもしれないと思った。
そんなことを考えているうちに、クライマックスへ。そして今年の花火が終わっていく。
全演目が終わると、携帯のライトがポツポツと光りだした。
いつからか始まった、花火師さんへのありがとうのメッセージだ。
対岸まで、ゆらゆら、光が左右に揺れる。
信濃川に沿って、光の川が生まれる。
その光景は、あたたかくて、切なくて長岡の花火がずっと花火として存在し続けることを願わずにはいられなかった。
友達の家に帰宅して、居間で明日どの海へ行こうかという話になった。
ともだちのお母さんとお父さんが、ともだちの運転に心配をして、お父さんが運転をするから!と、ともだちは二人から言いなだめられていた。
成人女性のともだちは、ご両親の前だと中学生の女の子みたいに見える。
ともだちはやだよーべつにいいよーと言っていたが、最後は折れて「お父さんと一緒でもいい?」とちらりとわたしを見て言った。
もちろん、一つ返事である。ダメな理由なんてなにもなかった。
下品な話や下ネタは一日封印だなと思ったくらいである。
早速お父さんは地図帳を開き、メガネをぐっとおでこにあげ、まじまじと地図を見ていた。
そして、ああ、なんとなくわかったと呟きサラッとキッチンへ行った。
机にそのまま置かれた地図帳をともだちが好奇心でパラパラ開くと、
「なにこれ!廃線になった貨物線が乗ってんじゃん」
そう言ってともだちは無邪気に笑った。