のぐちよ日記

映画、本、アート、日々のことをちまちまと。

お盆との向き合いかた

お盆到来。といいつつ、もう後半だけれど。

先週末テレビのニュースで、帰省ラッシュの様子が取り上げられているのを見た。

レポーターは大混雑の駅のホームで、新幹線を待っている家族にインタビューをする。男の子が「おじいちゃんと遊びます」と向けられたマイクに緊張しながらも、爛々とした表情で答えている。夏の風物詩である。

 

ところで、東京のお盆は7月13日から16日の間だ。

このことをひとに話すと「え、東京のお盆ってちがうんだ」と驚かれる。「へえ~初めて知った」と関心されると、ちょっと誇らしい。

そんなわけで我が家は毎年7月にお墓参りに行く。

夏の初めにわたしのお盆は終わってしまうので、8月の、夏真っ盛りの全国的なお盆がやってくると、ちょっと時差がある気持ちになるのである。まるで中国の旧正月のようだ。

 

小中学生のころは、お盆の時期に「親の実家にいく」と言う同級生がうらやましかった。

旅のチケットを無条件で手にしていると思っていたのだ。だが、そのあこがれも今や遠い昔の話である。

わたしの仕事である接客業はお盆休みもなく通常営業をしている。

だが接客業はどこもそうであるし、職場の先輩はお盆休みと期間をずらして、夏休みをとっている。

大人って、ひとそれぞれライフスタイルが違くていいなと思う。「前へ倣え」の義務教育が遠く感じる。

 

わたしの兄も業界は違えど接客の仕事をしているので、当然お盆休みはない。

だが先週の土曜日に、たまたまお互いの時間が合ったので飲みに行くことになった。

わたしたち兄妹はずっと仲が良い。親には言わないことも、兄妹同士では話す。お互いの恋愛話も、家族の愚痴も共有してきたのだ。

兄が大学で一人暮らしを始めてから、数か月に一度一緒に飲んでカラオケへ行っている。

そんな兄妹の遊びに去年、ひとり仲間入りをした。兄のお嫁さんである。

 

兄の結婚がきっかけで、一緒に遊ぶことになった。

兄のお嫁さんは、わたしたち兄妹が好き勝手しゃべるオチのない話をじっと聞き、笑い、的確な合いの手を入れる。控えめでとても頭のいい人だ。

カラオケ好き、お酒好きということで仲良くなり、数か月に一度の集まりが定例になった。

 

 

先週末もいつも通り、飲んだあと近所のカラオケへ行った。時間は0時を回ったので、そろそろお開きにしようか、となったときのことである。

カラオケを出る前に、わたしは個室の向かいにあるお手洗いに入った。

その瞬間、外から「おー!」だとか「わー久しぶりじゃん!」というにぎやかな声を聞いた。通路の真ん中にあるお手洗いは、外の声もどこかの部屋の歌声も丸聞こえだ。

 

そして、「こんな地元のカラオケじゃ、ともだちと会うだろうなあ」とぼんやり思った。

お手洗いから出ると、にぎやかな声の主が、兄のともだちだということがすぐにわかった。

兄と兄のお嫁さんは、そのにぎやかな声を上げた集団に取り囲まれていたのだ。

偶然には出来すぎていた。後で兄から聞いたが、兄の小中時代のともだちグループと、高校時代のともだちグループが通路で鉢合わせしたようなのだ。

 

当事者たちにとってはうれしい偶然でも、部外者にとってはどう反応すればいいかわからない状況である。

わたしとお嫁さんは困ったように目を合わせ、笑いあった。

それを見た兄は気を遣ったのか、ともだちへ向かって「あ、これ嫁」と言った。

これって…紹介が雑すぎるだろう…と思ったが、兄のともだちは「ああ!かみさん!?」と言い、兄のお嫁さんの顔をじっと見、今度はわたしの顔を見ながら「妹!?妹だよね!」と言った。酔っぱらっているようであった。

わたしは「はあ」と精一杯笑った。お嫁さんも似たような反応をしていた。

 

話しかけられて気が付いたが、そのひとはわたしの同級生のお兄ちゃんだったのだ。兄弟同士で小中同級生というわけである。

どうりで「妹だよね」と声をかけたわけだと納得した。

背は伸びたところで、面影や顔つきはいつまでも変わらないものだ。

そしてそのひとは「おれ、明日早朝から海だから、もう帰んなきゃ」と言ってどこかへ行った。

 

風の噂だと、その兄のともだちは、数年前離婚したと聞いた。そして、前の奥さんとの間に生まれた子供に会えなくなってしまったとも。

所詮近所の噂話であるが、例えどんな事情を抱えていようとも、カラオケで旧友と会い、次の日に海へいくなんて、誰から見ても充実した夏を過ごしているじゃないか。

楽しそうな様子が微笑ましかった。

 

兄たちと別れて帰宅後、母にカラオケで兄のともだち集団に会ったことを話すと、母は「あらあら、はしゃいじゃって」と嬉しそうに笑っていた。

そのとき、母にとってはずっと近所の男の子なんだなあとわたしは思った。

例え30歳を過ぎて、子供を持ったとしても、離婚を経験したとしても、母の目にはお盆休みではしゃぐ大きな子供なのだ。

 

それでふと、お盆は帰る側もいれば、迎える側のひともいるんだと気が付いた。

はるばる新幹線でやってくる孫を迎える、どこかのおじいちゃんのように。わたしの母のように。

旅のチケットは持っていない。けれど、お盆はいいものだなあ。来年からは、お盆の帰省ラッシュのニュースを、微笑ましく見れそうだ。