夏。
「平成最後の夏」というフレーズを最近よく聞く。そのたびに、すごくいいなあといつも思う。
毎年変わらずにやってくる夏と、もう二度とやってこない「平成」の組み合わせに、なんだか切ない響きを感じる。わたしは季節の中で夏が一番すきなので、余計特別なのかもしれない。
「夏」という漢字を見るだけでも、もうワクワクしてしまうのだ。
毎年夏になると、大江千里の「夏の決心」が、頭の中で無限ループする。
「夏休みはやっぱり短い」。さびの歌詞だ。社会人に夏休みはないが、夏があっという間に過ぎてしまうのはみんなに言えることである。
先週末のお昼すぎ、わたしは入谷の朝顔まつりへ行った。
毎年、七月六日から三日間催されている朝顔市である。一区間の四車線が歩行者天国になっていて、その片車線に屋台、そしてもう片車線にずらりと朝顔の鉢が並んで売られているのだ。
わたしは最終日に行ったのだが、朝顔はまだたくさんあって、会場からはお祭り特有の「はしゃぐぞ!」という熱気とエネルギーを感じた。
はっぴを着て日焼けをしたおじさん、おばさん、若いお兄さんが「お姉さん、朝顔どう?」だとか「一株で四種類の花が咲くよ」とか下町らしい人懐っこくてサバサバした感じで声をかけてくる。
遠くを眺めると、真っ青な空にむかってスカイツリーが突き出していた。その後ろ、スカイツリーの腰あたりには入道雲が見える。大きくて厚みがあって、白波のようなかたちをした雲だ。
ああ、夏がきたと思った。
暑くて体がべたべたして、朝顔も暑さに参っているようにしぼんでいた。
時間帯によっては一面咲くのだろう。想像してうっとりした。早い時間に来ればよかったなあ。少し後悔。
通りがかりに声がした。だれかが、朝顔を買ったようだ。振り返ってみると、おばさんがお客さんに「また来年お待ちしております」と言って、ビニールに包まれた朝顔を渡していたのである。
「また来年」かあ。いいなあ。またあの人は来年、新しく朝顔を買うんだろうか。またあのお店は来年も変わらず朝顔を売っているだろうか。
夕暮れの帰り道、わたしの前をいく親子の背中を見ながら歩いた。おとうさんは半袖短パン、ビルケンのサンダルを履いて、片手に朝顔の鉢が入ったビニール袋、もう片方の手には女の子の手が握られている。
女の子はおとうさんとよく似た服装をしていた。
違っていたのは、すこしよれたグリーンのタンクトップの襟ぐりから、早くも日焼け跡がくっきり見えたことだ。
真っ黒の肌を横切る、水着の肩ひものような細くて白い線。
あのお父さんは、あの曲のように、娘さんと一緒に線香花火をしたり、山や川にバーベキューしに連れてってあげるのかな。
オリジナルのカセットはさすがに時代錯誤だし、やらないだろうけど。
朝顔と入道雲と、屋台と日焼けした女の子を見たらもう、わたしはひと夏過ごした気持ちになった。
こんなに夏を感じる日ってあんまりない。
結局なにも買わなかったけれど、それを感じられただけでも十分幸せだった。
でもまだまだ。まだ夏が足りない。
今年も海にいく。京都にいって川床で涼む。トウモロコシも、夏野菜カレーも食べれるだけ食べたい。麦茶を一気飲みして、溺れそうになりたい。夜中にコンビニ行ってアイスを買いたい。
それから 平成最後の夏、どう過ごそうか。