長岡の子どもたち
駅の混雑、ロータリーの渋滞を車で抜けると、大きな橋が見えてくる。
真っ青な空、橋の下にはみんな同じ方角を向いた、小さなひまわり畑が広がっていた。
運転手は、ともだちのお姉さんだ。
妹にあたるともだちに話しかけるよりも、すこし高い声で「これが信濃川だよ。ここから花火が上がって、大手大橋の手前と奥で花火を観覧できるんだよ」
そうわたしに教えてくれた。
思わず「ああ、地理で習った信濃川ってこれなんですね。初めて見ました。大きいなあ」と呟くと運転席のお姉さんと、そして後部座席、わたしのとなりに座っていたともだちがゲラゲラ笑った。
それそれ。覚えててくれたなんて光栄だなあとふたりは笑った後、席はどこら辺だろうとかそんな話に変わっていった。
先週金曜日の午後、わたしは長岡にいた。
長岡出身のともだちが、花火大会の有料観覧席のチケットを取ってくれ、誘ってくれたのだ。
花火大会へ二日間も行くのは初めてである。
初日は有料席で、ともだち家族と一緒に花火を見ることになっていた。
ともだちの実家に着いて早々、ペットの黒猫がもどしたようで、お家のなかがすこし騒がしかった。
「そこにいて!汚いものお見せできない」と、ともだちに言われ、わたしはその間の抜けたハプニングの最中、玄関に立ち尽くしながらも、内心緊張していた。
ともだちが招待してくれたのはとても嬉しいし、信頼してくれているように感じられて光栄である。
だが、ひとの実家に泊まるのは初めてなうえ、わたし自身、家族同士も親戚付き合いですらもかなりドライな家系なのだ。
法事や兄の結婚式以外に、一家揃って食卓を囲まないような家族なのである。
猫ゲロ騒動で、みんなが仲よさそうなことが伝わってきて、ちびまる子ちゃん一家みたいな雰囲気に、自分が浮かないか不安になっていた。
その場の正しい振る舞いを知らなかったからである。
片付けが終わたらしく「もう大丈夫だよ」という合図に引き戸を開け居間に入ると、メガネをかけた真っ黒に日焼けしているお父さん、お姉さん、そして黒猫が居間の畳に座っていた。
お父さんと猫への挨拶をすませると、少し時間差でお母さんがお買い物から帰ってきたため、わたしは玄関へ向かった。
廊下には、ともだちそっくりのお母さんがいた。
顔はもちろんのこと、ひょろりとした体型や長い首、肩のラインなど骨格までそっくりである。
ただ違ったのは、落ち着いてポツポツ話すひとだったことだ。
ともだちとお姉さんが明るくよく喋るタイプなので、意外だった。
いらっしゃいと声をかけてくれ、さらに座敷でもあらためて丁寧に挨拶をしてくれた。
一休みした後、ともだち家族と晩御飯を一緒にさせてもらった。
それから長岡滞在の二泊三日の間、ほぼ毎食お母さんの手料理をいただいたのだったのだが、豪勢な食卓に驚かされた。
一汁一菜ならぬ、一汁五菜はありそうなくらい、テーブルいっぱいにサラダ、メイン、漬物、温菜など多彩な料理が並び、どれもすごくおいしかった。
滞在中にお母さんは梅干しを干していたので、365日家事に手を抜かないひとなんだろう。
ともだちの近況や仕事の話をふんふん頷きながら、ふいに中ぐらいの皿にのった枝豆に手を伸ばし、口に運ぶと「うまい!」と自然に声が出た。
口に入れる前に香る青々とした匂いと、噛んだ瞬間、濃い汁がぶしゅっと出てくる。
うまい、うまいと言いながらもひたすら食べるわたしに、お母さんは無言で台所へ向かい、枝豆の袋を持ってきてバザバサと皿に追加してくれた。
泊めてくれることも、豪勢な料理もだが、枝豆を足してくれたその仕草は、何よりも歓迎してくれていると感じて、わたしは嬉しくてたまらなくなった。
あたりがだんだん暗くなり、開催時間が近づくと、わたしたちは河川敷に歩いて向かった。
河川敷にはビニールシートを敷き、その上に簡易テーブルを置いて、オードブルやお弁当を突く家族連れをたくさん見た。
すこし遠くを見ると、三階建てのビルの屋上で、花火を見るために集まった人たちが見える。
ビルの外階段を、お鍋を両手で持ったひとが上がっていく。
会場にいた人々は、これから始まる2時間のイベントを最大限味わう準備を整えていた。
わたしたちはというと、筒状にした大判の敷きもの、お菓子や飲み物のペットボトルの入ったトートバッグをそれぞれ持ちながら、観覧席に向かっていた。
開催直前、大きな花火が三発、日が暮れ始めた空に上がった。
「大きい!」とびっくりしながら叫んで歩くわたしに向かって、「こんなのぜんぜん!」と後ろにいたお母さんが声をかけてきた。
すでにわたしが今までみた花火の中で一番大きい花火が上がっていたにもかかわらずである。
これからどんな花火が見えるんだろう。
プレゼントの箱を開けるときのような、期待とワクワクで胸がいっぱいになった。
長岡の花火は、企業スポンサーが花火を上げる。会社のメッセージや宣伝などが放送で流した後、花火を打ち上げるのだ。
「打ち上げ、開始いたします!」
元気な女性のアナウンスの後、ボンっと大きな、まるでスピーカーから聴こえるベースのような音が響き、大輪の花が夜空に咲く。
連続で打ち上がって空を埋め尽くしたり、細かい花火がレイヤーになって徐々に上空目指して登って行ったりと、魅せ方もバリュエーション豊富で、色とりどりの美しい花火が上がっていく。
長岡花火はそもそも長岡空襲の慰霊から始まったそうだ。
三尺玉の花火は、特にその意味があるらしく三尺玉花火が上がる前に、ウーと空襲警報のような音が流れた。
ボンっと大砲から出たような音、昇り竜のような線が空に上がり、大きく開く。
三尺玉の打ち上げはすこし遠くだったが、十分に大きさも迫力も伝わってきた。
観覧客からワッと歓声が上がり、拍手がパチパチと巻き起こった。
散り際は、まるで柳の木の葉のように垂れ下がり、徐々に光の線が夜空へ消えていく。
すごい、すごいと騒いでいると花火のパンフレットを持ったお母さんが「そろそろフェニックスだよ」と教えてくれた。
平原綾香のジュピターが流れる、かなり大掛かりな花火だそうだ。
曲のはじめ、平原綾香のブレスを合図に大きな花火が数発上がる。
川の端から端まで、花火の柱が上がっていき、空を全面埋め尽くしていく。
ムービーを撮っていたが、どこをフォーカスして撮ったらいいかわからないくらい、四方八方あがるので、途中で撮ることを諦めてしっかり目に焼き付けることにした。
花火大会初日は、あっという間に終わってしまった。
となりで見ていたともだちは、いつかわたしと一緒に行った神宮の花火大会や、ほかの人といったであろう長岡以外の花火をどういう気持ちで見ていたんだろう。
そんなことを考え、羨ましい気持ちと、ともだちの心境を想像しておかしくなった。
花火のあと、ともだちのお姉さんが「渋滞が凄そうだから、なぎのお暇を見て帰る」と言った。
お母さんがわたしたち三人分の麦茶と、フルーツゼリーを用意してくれて、二階の部屋で食べながらドラマを見ることになった。
「高橋一生ぴったりだね」だとか「原作と結構近いね」とか「ゴンぜんぜん見た目違うじゃん」なんて言い合いながらも、わたしはこの、どこかで見たことがあるフルーツゼリーを見るたび、この風景を思い出すだろうな、と考えていた。
そうやって、擬似帰省体験1日めが終わった。