のぐちよ日記

映画、本、アート、日々のことをちまちまと。

元同僚が捕まった

先週、桜が見たくてまた京都へ旅行をしていた。

桜はほんとうに綺麗で、とても満足していたのだが、前職の後輩が送ってきたラインから、一瞬で朗らかな気持ちが吹き飛んでいってしまった。

「〇〇さん、覚えてますか。逮捕されて即日解雇されたんですよ」。

後輩も何故捕まったのか知らないとのことだった。ただ、ニュースになっていないのでおそらく軽犯罪なのだろう。

実は元同僚であるその男性は、少しわたしに気があったようで(というとかなりおこがましいが)、わたしがまだ前職で働いていたときに、一度だけご飯に誘われ、食事をしたひとであった。

わたしに気があったようで、という言い方をしたのは、彼がわたしのことを、異性としての好意で食事に誘っているのか、ただ友達になりたくて誘っているのかわからなかったからだ。
断る理由もなかったので、ひとまず食事に行き、その時、好意のあるそぶりを感じてやっと気づいたのだった。
そのあとは、それとなく大人の対応で職場のひととして仲良くしつつも、徐々に距離を置いて疎遠になっていた。

当時はまさか数ヶ月後に犯罪を犯すようなタイプには見えなかったし、特段異常を感じてはいなかった。
ただ、少し不思議なひとであった。

その元同僚の出身大学は世界的にも有名なところで、「何でここで働いてるんだろう」と誰しもが思うような学歴であり、実際に職場のみんながそう言っていた。
さらに、賢いからなのかわからないが、職場のメンバーとは仲良くしようとしなかった。
高学歴と、だれとも仲良くしようとしないところは強すぎる個性となり、「変わり者」とみんなから認識されるようになり、周りとも自然と距離ができていた。

変わり者はわたしのような変わり者(とよく周りに言われる)に惹かれるということだろうか。
今思えばほとんど接点がなく、挨拶や世間話を少しした程度であったのに、何に興味を持ってくれていたのかわからずじまいだ。

あの食事の時は、すでに犯罪をしていたのだろうか。もしくは犯罪の予備軍であったのだろうか。

ついこの前まで一緒に働いていた同僚が、遠く対岸へ行ってしまったような気持ちがした。

それと同時に、犯罪を犯すということは、自分が思っていたより、かなりハードルが低いのだなと知った。犯罪に走るとよくいうが、きっと実際は、気がついたらボーダーラインを超えているものなのだ。
じゃあ、犯罪を犯すひとと、そうではないひとたちの境界線はなんだろう。

おそらく、犯罪を犯すハードルを超えるのは、強い孤独のせいではないかと思う。

家族がいるから大丈夫とか、そういうのではなく、じぶんの考えや性格に共感して肯定してくれる存在が近くにいるか。

大きな出来事がきっかけではなく、いつからかどこからともなくやってくる隙間風のような、ひんやりした疎外感や孤独。
それが長年経って無視できなくなって、「こんなことをしたら、あの人に軽蔑されるかもしれない」、「もう二度とみんなに会えないかもしれない」という、ストッパーになる存在もいないとき、超えてしまうような気がした。

元同僚の彼は、「帰省はコロナの前から、長いことしていない。べつに家族とは仲は悪くない。連絡もたまに取り合っている」と言っていた。
仲悪くもないのに、帰省はしないんだとそのときは不思議に思っていた。

彼はどこかで満開の桜を見ただろうか。
わたしは後輩へ返信を打ったあと、円山公園のベンチでぼんやり、そんなことを考えていた。