旅にでる 伊豆編 2 (もしも伊豆で生まれ育っていたら/海について)
宿に向かう車の中で、わたしと友達は、ついさっきドライブスルーで買ったマクドナルドのハンバーガーとポテトを頬張りながら、「もし伊豆で生まれ育ったら、どんな青春時代を過ごしていただろう」という妄想話で盛り上がった。
わたしはこういう、「もしここで生まれ育ったら」といった話が好きである。旅行に行くとまず現地の子供や女性を見て、自分もああなったのかなと妄想するのだ。
ここでわたしが思い出すのは、小田原出身の友達のことだ。彼女は箱根のすぐ近くが地元という、うらやましい境遇にも関わらず、「箱根に近くていいね」と聞くと「一回もいったことない。あんなに混んでいるところ、わざわざいかないよ」とぶっきらぼうに返事したのである。
実は別の小田原出身の知りあいも同じような返事だったので、観光地というのは、遠方からきたひとじゃないと良さが味わえないのかもしれない。
だとすると、もしわたしが伊豆生まれだったら、あんまり海に行かないのかもしれないなあと思った。
新鮮な海の幸を当たり前に味わえる環境にいながら「やっぱり、そうめんだよなあ」なんて言いながら夏はそうめんばっかり、食べているのかもしれない。
それでも、夏休みには海の家でバイトはしてみたいけれど。
あたりが真っ暗になると、暗闇から小さな打ち上げ花火が上がった。地元の花火大会があったようだ。
車の中で歓声を上げながらも、「きっと地元の中高生はデートしたり、それを見た周りの同級生に冷やかされたりしてんだろうなあ」と妄想したのである。
伊豆にいる間、そういった「伊豆生まれの16~27歳のわたし」がたびたび顔を出したのだった。
宿に到着し、少し仮眠をとってから、大浴場へ入りにいくことになった。
大浴場に露天風呂がついていたので、入ったのだが、外は少し肌寒く、温泉も適温で気持ちが良くて、寝起きでぼーとした頭は一気に冴えたのである。
夜の闇の中にチラチラと光る黒々とした海と、波のゴーッとした音が怖かったので、明日の朝、海で泳げるか不安になった。
だが、その心配は不要であった。翌朝、ぴかっとした快晴に恵まれたのだ。
青い空と青い海、白い砂浜が広がる。弓ヶ浜は、まさに海のイメージそのものだった。
浮き輪を使って、ぷかぷかと海に浮かんでいた時、黄色と赤の帽子をかぶった、真っ黒な女の人がクロールでわたしに向かってぐんぐん近づいてきた。ライフセーバーだ。
近くで見たのは初めてだった。
「危ないので、もう少し手前で泳いでください」とわざわざ言いに来てくれたのである。
「あ、はい、すみません」と返すと、ライフセーバーの女性は、左右あたりを見渡しながら、「みなさん、台風の影響で波が高くなっています。波が砕ける手前、もう少し浜のほうで泳いでください」と大声で叫んだ。
その女性が凛々しくて見とれたのと同時に「波って砕けるっていうんだ」と思った。
きれいな海は穏やかなだけじゃなくて、台風が近づいてくれば砂を巻き込んで、大きく波を作り、濁った海水にかえるし、夜になれば真っ黒でゴーゴーと音をたてるものに変えるのだ。
もしわたしが伊豆で生まれ育ったなら、海に過剰なあこがれを持たずに、「生活の一部」になっていたのかもしれない。腐れ縁のような、そんな存在だろうか。だが、それはそれで、また憧れるのだ。
月曜日の朝、わたしは肩の日焼けに気が付いた。
バッグを肩にかけると、ヒリヒリと痛んだからである。伊豆から離れても、海が遠くなっても日焼けは残っているのだと、痛みながら少しうれしくなった。日焼けは海に行った証のような気がしたのだ。
海の疲れでぼーっとした頭で勤務していたとき、お客さんの一人が白いシャツを腕まくりして、その腕をぼりぼり掻いていたのが気になった。
ふと見てみると、その人も真っ黒な腕の日焼けをし、べりべりと皮がむけているのである。「あなたもですか」と心の中で話しかけ、人知れず喜んだ。
夏はみんな少し浮かれ気味なのだ。故郷ではないどこかの海へ行って真っ黒になって、非日常を味わい、海の余韻に浸りながらも後日、日焼けに苦しむのである。
そういうものなのだ。
東京生まれのわたしは「やっぱり海は、生活の一部ではなくて夏に行くものだ」と思ったのであった。