ニートの扉が開きました
退職した。
あっという間に手続きは終わり、もうオフィスに行くこともない。
幼い時からずっと「普通」と言われていることが、理解できなかった。
人によって顔形が違うように、ひとそれぞれ考えが違うのに一括りにされることがわからなくて、それは会社員になっても変わらなかった。
上司の「常識的に」「普通」「一般的には」という冒頭の内容や、怒られていることが全くわからなかったのだ。多少の愛があったこともあるだろうけれど、わたしが思う限りでは、そうではないことが多かった。
先輩と飲みに行ったときだろうか、一緒に帰ったときだろうか。ある時、先輩が上司から言われていた「普通」をそれとなく話し出したとき、わたしは先輩がそれを理解してるんだということを知った。
先輩みたいに素直に理解できる道も、自分が努力して理解する道もあったと思うけれど、上司の「普通」を理解したくなかった。
仕事ができないうえ、言うことを聞かない部下という風に見られたかもしれないけれど、別に敵意はなかったし、反抗したいわけではなった。染まりたくなかっただけだ。「普通」といいたくなかっただけ。
誰かに「普通」のことを語って、普通ではないとされる人々を見下すような人になりたくなかった。
自分で自分のことをばかにしたくなかった。こんなもんだ社会は、で片付けたくなかった。
今、わたしは真っ暗闇に、手漕ぎの木製ボートに乗ってぷかぷか浮かんでいるだけだ。行く先が決まっている人々が、ジェットボートに乗ってビュンビュン、わたしの横を通り過ぎていく。
いつか夜が明けて、わたしにも進むべき方角が定まって、そこへ向かっていけるかなあ。
何はともあれ、つかの間の自由が訪れた。
体調がよくなったら、旅行に行きたい。理想はスペイン、いけなくとも国内のどこか。
とにかく一か月は先のことは何にも考えずに、ずっと挑戦したかった長編小説を読もうと思っている。
とりあえずドストエフスキーの「罪と罰」、「カラマーゾフの兄弟」や谷崎潤一郎の「細雪」は読む予定だ。
そうやってなにかしらの、小さいことを達成していけば、進む方角くらいはわかるようになるかな、と思っている。