近所の田中くん
小学校3年生の時、同じクラスだったキヨちゃんとよく遊んだ。同級生にキヨちゃんのいとこである田中くんがいたけれど、クラスがずっと違かったのもあって、一度も話したこともなかった。
田中くんは色が白くて、細くて眼鏡をかけていた。背の順はいつも後ろのほうだった。頭が良いということは知っていたけれど、それ以外のことは何も知らなかった。
多分、足は速くなかったので女子人気はなかったと思う。大人びた雰囲気が名探偵コナンみたいだなと思って興味が湧いた。コナンのような見た目じゃないけれど、ミステリアスな男の子、そんな感じだ。
その当時、田中くんと同じクラスになったことがある、女の子の友達に「田中くんってどんな人?」と聞いてみたことがある。
その友達は「あー田中くん?キヨちゃんと全然性格違うよ。ふだん大人しいけど気に入らないことがあるとすぐ怒るし、よくわかんない」と言った。
それを聞いてがっかりした。話したこともないので「あんな大人っぽい人が怒ると、どうなるんだろう。怖いな」と思ったのは覚えている。
小学校で一度も同じクラスにならなかったので、ついに怒ったところも見れなかった。
それに田中くん一族はインテリでお金持ちだったので、田中くんとキヨちゃんは私立中学へ通うことになり、遠い存在になった。
田中くんはわたしの近所に住んでいるらしかった。それは、生活のスケジュールが同じなのか、学生時代はよく家の前の通りですれ違ったからだ。
田中くんはさらに背が伸びて、眼鏡をコンタクトレンズに変えて、どんどんかっこよくなっていった。でもわたしは、田中くんの分厚い眼鏡の奥にきれいな目があることを、小学生の時から知っていたので「小学生のもてるタイプとそれ以降のもてるタイプは全然別物だな」と実感したのである。
田中くんはわたしのこと知らないだろうなと思って、声をかけたことはなかったしお互い目も合わさない。けれどわたしは、すれ違うたびこっそり田中くんを横目で見ていた。
大学生になった田中くんはベースギターをしょってイヤホンをつけて歩くようになった。「あんなクールだった田中くんがベース弾いてるんだ。どんなバンド組んでるんだろう」と気になったものである。
そうやってすれ違うたび「どんな人なのか」考えたけれど、だからといって声をかけることもなく、家に着く頃には考えていたことすらも忘れる存在。けれど、「小学校一緒だし、近所なのに挨拶しなくていいのかな。感じ悪いよなあ」ともやもやしていた。
初めて話をしたのは成人式だ。
公立中学卒の同級生たちに混ざっている、スーツ姿の田中くんに驚いた。田中くんは気難しい性格だと聞いていたけれど、小学校時代の友達とは卒業した後もずっと交流していたのだ。
わたしは思い切って男の子の輪にいる、田中くんに近づき
「田中くん、わたしのこと覚えてる?」と話しかけた。すると田中くんは「そりゃ覚えてるよ。」とわたしの名前を呼んで笑った。それは嘲笑ではなくて、おかしなこと聞くなあという、感じのいい笑顔だった。
田中くんが笑った!しかもすごくフレンドリー!調子づいた私はさらに
「あのさあ、近所でよくすれ違うよね。毎回挨拶していいのかなって気まずかったんだよね。今度道で会ったら、挨拶していいかな」と聞いた。
今思えばすごく気持ち悪い。すれ違う時に声をかければ済む話だったのにと思う。けれどそんなヘンテコなわたしに、田中くんはあははと声を出して笑って
「同じクラスになったことないし、話したことないから挨拶していいか、おれもわかんなかったんだよね。もちろんだよ。おれも声かけるね」と言ってくれた。
わたしのことを馬鹿にせず、「おれも声かけるね」と言ってくれた田中くんは気遣いのできるいい人なんだなと初めて知った。
多分その後もう少しだけ話した気がするけれど、全然覚えていない。
それからわたしたちは、会うたび「やあ」とか「おはよ」とか手を振ったりといった挨拶をするようになった。やっと、ご近所さんらしくなったのだ。そのたび田中くんは、はにかみ笑顔で挨拶してくれてかわいかった。世間話をしなくても、わたしにはそれだけで満足だった。
違う顔の田中くんを見たのは、それからまた少し経った頃である。
友達がわたしの家に泊まりにくることになって、地元のおいしい焼肉屋さんに連れて行った。
そのとき、店内奥のテーブルに田中くんがいたのだ。
その集まりはバンドの打ち上げなのか、合コンなのか分からないけれど男女比半々の4人グループだった。
なんと、田中くんは女の子2人に挟まれて座っていたのだ。4人できたのにも関わらず席は3対1だったのである。
なんて残酷なことだろう。向かいに座る男の子の隣に1人座ってあげてもいいのに、と思った。けれど、多分女の子2人が田中くんを取り合っているんだろうと簡単に予想できた。
多分田中くんはわたしがいることを気付いていたけれど、席が離れていたのもあるし、田中くんのテーブルは女の子同士のバトルが、水面下で繰り広げられていたので、声なんてかけられなかった。うかつに声かけたら、備長炭をさらに投入する行為になるからだ。
田中くんはちょっと気まずそうだったし、わたしもそうだった。
女の子たちはかわいくて、おしゃれだったと思う。もてそうな2人が近所の田中くんを取り合ってる図は面白かった。まさに両手に花。漫画みたいなことが本当にあるんだと思った。
田中くんはまんざらでもなさそうだったし、一見して「もてるだろうな」という人独特の、自信と余裕のある雰囲気を漂わせていた。
友達との話に夢中になっている間に、田中くんたちはいなくなっていた。
それで、友達にさっきいた田中くんの話をしたのだが、全然気づかなかったようで、「なにそれ、どんだけかっこいいの。見てみたかった」と言った。
私も見せたかったなあと言ったけれど、その機会はすぐきた。
焼肉の後お茶をしようということになって、近所のカフェへ行ったのだが、そこに先に出て行った田中くんたちがいたのだ。
わたしは田中くんにばれないように、(あれだよ)と友達に目配せをすると「え、同じ日に違う店で会うってすごくない?あそこの焼肉屋さんからの、このカフェって地元の定番コース?」とずれた返事が来た。
正直、確かにそうかもと思った。残念ながら、友達は田中くんがタイプじゃなかったようだ。
それにしても偶然には面白すぎた。
焼肉屋さんの時と同じように、女の子たちは田中くんの両脇を、がっちりキープして座っていたのだ。
「田中くん、どっちの子が好きなんだろう。もしかしたらどっちも好きじゃなくて別で本命がいるのかも」とか「田中くん、こんなもててるんだし、きっと大学でも人気なんだろうな。遊んでるのかな」と考え出すとわくわくが止まらない。
それから、田中くんたちがお店を先に出たのか、わたしたちが先に出たのか覚えてないけれど、家につく頃にはそのわくわくは消え失せて、別の思いが廻った。
田中くんは下界に降りてきてしまったんだ。おかしな言い方だけれどその表現がぴったりだった。
田中くんが俗っぽくなってしまったことに、すごくがっかりしたのだ。田中くんはわたしと同じ世界の人間で、女の子も、俗っぽいものも好きだろうというそんな当たり前なことに、今まで気づかなかったのだ。勝手に理想像をつくり上げて幻滅して、自己中心的なことだとわかっている。それでも、ずっとミステリアスな男の子でいてほしかった。
そういえば、最近田中くんを見かけていない。もしかしたら地元を離れてしまったのかも。頭がいいから、海外転勤しているのかもしれないな。それと美女と付き合っているか、もうすでに結婚しているかもしれない。「ウルフ・オブ・ウォールストリート」のジョーダンみたいになっていないことを願う。
田中くんがどうしているかなんて、知ろうと思えば簡単だ。キヨちゃんとはすっかり縁が遠くなってしまったけれど、友達を伝っていけば、すぐに連絡先がわかると思う。でも、わたしはあえて田中くんのことを聞かない。だってそんなことしたらつまらない。わたしはずっと田中くんの隠れファンなのだ。
※田中くんもキヨちゃんも、仮名です。