「死んだらどうなるの?」と聞かれたときの答えかた
小さい頃、伯父に「死んだらどうなるの?」と聞いたことがある。だれしも一度は疑問に思うだろう。
すると伯父は「死んだらなにもないよ。永い眠りだよ。眠ったらなにも感じないでしょ?それと同じだよ」と言った。
その時、わたしは谷底に突き落とされたような気がした。「なにも感じないってどういう感覚?目を覚ます時、寝ていたなーって分かるけど、ずっと目が覚めないってどういうことだろう。無ってなんだろう…」
考え始めると目を瞑るのも怖かった。
大きくなっても、私は死が怖いままだった。
仲良くなった友達に「死ぬのが怖くないか。死んだらどこに行くのか気にならないか」と聞いてみたことがあるけど、大概は「小さい頃怖かったけれど、今は何とも思わないな」という答えばかりだった。
今よりもっと死を恐れていた学生の頃、当時毎日のように遊んでいた友達がこう言ってくれた。
「わたしのおばあちゃんが言ってたんだけど、やりたいことがたくさんあるひとは死が怖いみたいだよ。歳をとると、やりたいことをやりつくすから、自然と死を受け入れられるようになるんだって」
そうか。確かにやりたいことがたくさんある。
友達のおばあちゃんはすごいな。わたしは死について考えそうになった時、いつも友達のおばあちゃんの言葉を思い出す。
モルディブの海にぷかぷか浮かんでいたり、スペインのバルで夜中まで食べ歩きしている自分を妄想すると気持ちは高揚して、死の恐怖はどこかへ吹き飛んでいくのだ。答えのない問いは、考えるだけ無駄なのである。
素晴らしいおばあちゃんがいる友達は、結婚をし東京を離れ、現在2人の子供がいる。
「下の子が入園して、落ち着いてきたから東京へ遊びに行くね」と、先月連絡がきた。
そろそろ友達の子供は「死んだらどうなるの?」と親に聞くだろう。友達はなんて答えるのかな。少し気になった。いつの間にか尋ねる側から、答える側になったなんて、時がたつのは本当に早いものだ。
最後にわたしの祖父の話。
祖父は田舎の出身だった。上京し、当時は大きかったテント屋の下で働き始めたのだが、その当主が働き者の祖父を気に入り、「わたしの娘を嫁にどうか」と勧め二人は結婚をした。後のわたしの祖母との結婚である。
祖父は、苦労人らしくちょっと意地悪だけれど人懐っこく、頭のいい人だったそうだ。
ある日娘である幼い母は、誰も本当の答えを知らない、あの質問を祖父に尋ねた。
そして祖父は言った。
「そんなの知らねえよ。でもみんな戻ってきてねえし、きっとあの世は良いところなんだろ。」
落語みたいな本当の話。一本取られたなあ。