すき焼きの生卵はソースか、なんのためにつけて食べるのか
すき焼きは2日目に限る。
それは、ほとんどの煮込み料理にあてはめられるかもしれない。
カレーはその代表選手だと思う。
ただわたしにとっては、すき焼きがダントツの一位だ。
あまじょっぱいあのたれが、肉や野菜をさらに柔らかくして味をしみこませる。
あれを、ご飯にかけて食べると、たれがご飯にしみて二度おいしい。
しかし、生卵を忘れていたことに食べ終えてから気付いた。大事な登場人物を忘れて、物語を終えた気持ちになる。急に物足りなさを感じた。
そのとき、ある一場面を思い出したのだ。
「生卵は、ソースなのか。なんのためにつけて食べるのか。」
私がニューヨークへ留学していたころの話だ。
中国人の友達と現地のすき焼きやさんに行ったとき、私にそう聞いてきた。
お題は、先ほど私が店員に頼んだすき焼きの生卵についてだ。
「それは鍋にかけるのか、ご飯にかけるのか。」
さすが大陸の国の人である。爆発的な人口、隣り合う国々と、その民族に囲まれた国に生まれた彼女は、当たり前があまりないのであろう。
理解できないものは、知りたくて仕方ないのである。ロジカルに、ストレートに私に疑問を投げかけてきた。
わたしは彼女のこの何事も、突き詰める性格がとても気に入っていた。
だが生まれて一度も、すきやきの生卵の疑問を持ったことがなかったので、かなり返答に困った。
中国で生卵を食べる文化がないということに、感心しながら、必死で答えを探したがうまくみつからない。
すき焼きが食卓に並ぶときに必ず生卵はついてきて、まるでハンバーグ定食のライス(またはパン)と同じ感覚であったのだ。
当たり前すぎて、疑問に感じたこともなかった。
「うーん、つけるとおいしいからじゃない?試してみたら。」
と言ってみると、私の真似をして食べ始めた。
「うん。おいしい、のかなあ。」
と食べてから、素直に漏らした彼女はすごくかわいらしかった。
正直、私も生卵が絶対必要と思える存在ではない気がする。
ただ、ないと寂しい気がする。
私たちは気にしていないだけで、当たり前すぎて疑問に思わないことがたくさんあるのだと知った。
ちなみに、生卵を店員に頼んだ際
「こっちの卵は生で食べても大丈夫なんですか?」
と私が店員に聞くと
「日本の方は必ず生卵があるか、と聞くので出すようにしてますけれど、保証はできませんよ、と言っているんです。」
と聞いて、わたしは店員と大笑いした。
やりとりはすべて日本語だったので、中国人の友達が
「なんて話したの?」
と聞いてきた。そのため、英語で説明したところ友達も大笑いした。
そして
「日本人は、なんで必要かわからないものなのに、命がけで食べるの。」
とぐさっと刺さるようなジョークを言い、確かに、とみんなでさらに大笑いした。
この中国人の大親友は今春、日本へ遊びに来る。
ニューヨークでできた、かけがえのない友達である。
彼女もニューヨークから中国へ帰って、紆余曲折あったようだ。ゆっくりわたしの家に泊まって、リラックスしていってほしい。
そして、すき焼きをまた食べさせようと思っている。
もちろん生卵付きで。きっと彼女はすぐに思い出してくれるだろう。
ニューヨークのすき焼き屋さんの思い出を語って、笑い合いたいな、そう思っている。