のぐちよ日記

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星野道夫のエッセイ「旅をする木」の感想

 東京でたくさんの人が働いている今この時間に、遠く、例えばニューヨークで、たくさんの人が寝息を立てているということを考えると、いつも不思議な気持ちになる。

「刻々と過ぎる時間の流れは変わらなくても、それぞれの国の時間が存在していて、たくさんの人が当たり前のように生活をしている」と思うとスケールの大きさが途方もなく思い、少し絶望するのだ。

 

伊豆フォトミュージアム星野道夫の写真展を見たときのことである。

 

 星野道夫とはアラスカに長年住み、アラスカや世界各地の自然、動物や原住民をとり続けた写真家だ。

わたしは、代表作であるアラスカの大自然カリブーの大群の写真を眺め、「大自然が怖い」と怯えた。

 

それがなぜだったのか、当時はわからなかったが今ならわかる。

アラスカの自然があまりにもスケールが大きすぎて、自分が過ごしている時間と大きくズレていると感じたからだ。

ニューヨークの時差なんてレベルではなく、太古昔から悠々と流れている時間に圧倒されて怖くなった。国同士ではない、また別のタイムゾーンがあるような感覚。説明ができないものに対する「畏れ」である。

 

同時に「どうして彼はこんなに自然をとりたかったのだろう」と気になった。畏れなかったのか。どうして正面から向かっていけたのか。

 その答えが見つかるかもしれない。わたしはミュージアムショップで星野道夫の「旅をする木」を買った。アラスカで十八年間住み続けた星野道夫の生活をつづった、日記のような本である。

 

本を読み終わって、思った。

彼は「世界各地の流れる時間を体感したかった」のだ。

 

大都会の東京で電車に揺られている時、雑踏の中で人ごみにもまれている時、ふっと北海道のヒグマが頭をかすめるのである。

ぼくが東京で暮らしている同じ瞬間に、同じ日本でヒグマが日々を生き、呼吸をしている…確実にこの今、どこかの山で、一頭のヒグマが倒木を乗り越えながら力強く進んでいる…そのことがどうにも不思議でならなかった。

考えてみればあたりまえのことなのだが、十代の少年には、そんなことがひっかかってくるのである。

自然とは、世界とは、面白いものだなと思った。

あの頃は思いを言葉にはできなかったが、それはおそらく、すべてのものに平等に同じ時間が流れている不思議さだったのだろう。

旅をする木 星野道夫「もうひとつの時間」 より引用

 

 

そして大人になった彼は北海道を超え、アラスカへ降り立つ。

 

しかし星野道夫の旅はアラスカだけではない。

十九世紀末に村人が去ったクイーン・シャーロット島の、忘れ去られたトーテムポールを、またはペンシルベニアピッツバーグに住んでいるアーミッシュの人々を探しに行くのである。

彼の本によると、アーミッシュとは十六世紀初めのころ、質素な信仰生活を求め集まった集団だそうだ。

彼らは今もなお、電気を使わず高等教育も受けず、農業で自給自足の生活をしているのだという。

まるでタイムスリップをしているようだと思った。

 

 

ニューウェリントンの町をぶらぶらと歩きました。ここは現代文明に生きる町の人びとと、それに背を向けたアーミッシュの人々が寄り添って暮らしているのです。

一本の道がつなぐその二つの世界の境とは何なのでしょう。あの少女が馬車に乗って町へ出てくる時くぐり抜けるもの、そして再び村へ戻ってゆく時くぐりぬけるもの。

そのあいまいな世界は信じられるような気がしたのです。

アーミッシュの人々より引用)

 

現代と近代を結ぶ一本の道。すごく良い風景だなあと文章から想像した。

 アーミッシュの人々を、いつかこの目で見てみたい。

 

星野道夫展では、生前の彼のムービーを見ることができた。

温かく静かに語りかけるような話し方をする男性で、わたしは豪快でガハハハと笑う男性を想像していたので驚いた。

内にメラメラとした情熱を秘めるタイプだったんだろうな。

 

旅をする木」では、彼のたくさんの友人、知人が出てくる。文章から彼らを温かく見ていた様子が伝わる。

そして彼らも、星野道夫のことを大好きだっただろうなと思う。

星野道夫がクマに襲われて亡くなったとき、たくさんの人が彼の遺影の前で祈ったに違いない。

 

しかし、一読者のわたしは、大自然を撮り続けた写真家が、クマに襲われて亡くなるというのは、ドラマを感じずにはいられない。

自然を愛し、自然に還る。

 

アラスカの川を旅していると、この土地のひとつの象徴的な風景に出合います。

それは、川沿いの土手から水平に横たわりながら生えているトウヒの木々のたたずまいです。

川が、長い歳月の中で少しずつ大地を侵食しながらその流れを変えてゆく中で、森の木々が次々にその土手に立つ時代がやって来て、やがてゆっくりと倒されてゆく風景なのです。

(中略)

荒々しく、誰も止めることが出来ない、その混沌とした風景が私はとても好きです。

それはあらゆるものが同じ場所にとどまることがなく動き続けているという摂理を静かに語りかけてくるからなのかもしれません。

(あとがきより一部引用)

 

 

 星野道夫は、今でもアラスカや世界の僻地を旅している。そんな気がするのである。

 

 

旅をする木 (文春文庫)

旅をする木 (文春文庫)

 

 

 

 伊豆フォトミュージアムについての記事↓

 

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