のぐちよ日記

映画、本、アート、日々のことをちまちまと。

母であることから永遠に逃れられない

先日、母が熱海へ一泊二日の旅行に出かけた。

学生時代の友人との旅行である。

母は出発の一週間ほど前からそわそわしていて、わたしに「~しといて」と細々、お使いを頼んだ。そして旅行当日の早朝、どれがいいと思う?とわたしに向けファッションショーを開催した後、軽やかな足取りで家を出た。

 

正直わたしも、母の小旅行にわくわくしていた。

父とは元からそんなに顔を合わせないし、実質的な一人暮らしになるからである。たった一日母がいなくたって心細さはなかった。

 

しかし翌朝、母から「頼みごとをしたか」という確認の電話がきたのだ。

わたしは、「したよ。大丈夫だよ。」と伝えると母は旅の様子を簡単に話し「帰りは18時頃になるからね」と言い、電話を切った。

もう子供じゃないし、旅行中わざわざ連絡をして来なくてもいいのにと思ったが、わたしは「母は『母』であることから永遠に逃れられない」ことに気が付いた。

 

私の母は、専業主婦である。小さい頃からずっと家にいたし、学校行事も欠かさず参加していたのだ。

子供たちがとっくに成人したにもかかわらず、昨年まで旅行にもいかなかった。

 

だがもう家族のために生きなくてもいいし、家の心配をする必要もないのだ。

 

けれどわたしは、母が好きでそうしていることを知っていた。母は「母」という役目を重荷に感じていないし、義務感もないのだ。ただ愛情から、自らその役割を担っているのである。わたしは、母がいなくてせいせいしたことを少し申し訳なく思った。

 

母は、電話で伝えてきた通りの時間に帰ってきて「どうだった?なにも変わりなかった?」としきりに聞いてきた。

最初は「何も変わりないよ」と答えたが、度々聞いてきたので、母は「私がいないとだめなんだから」と思いたいのだと気が付いた。

 

 

しかしうそをついて「寂しかったよ」というのも何だか白々しくて嫌だったので、わたしは「家がすごく、静かだったよ」とだけ言った。

 

すると母は目を細め、満足気に「そうだろうね」と笑った。そして母は旅行の話をしながら、バッグからお土産のお菓子を広げた。