のぐちよ日記

映画、本、アート、日々のことをちまちまと。

みかくとみため

ドキュメンタリーが好きなのは、小さい頃からのようである。

大豆から、豆腐、醤油、味噌、納豆になる工程をイラストで描いた絵本が家にあってよく読んでいた。

イラストが可愛かったこともあるけれど、大豆から、たくさんの食品になることが面白かったし、昔の人はよくそんなにたくさん発明したなあと感動したのである。

 

晩御飯に納豆ご飯を食べた時、ふと、ねばねばした食べものって他の国にないなあ思った。納豆を筆頭にとろろ、オクラなど日本には昔からねばねばした食品を食べる習慣がある。

 

わたしの外国人の友達は、ねばねばしたものが苦手な人が多い。納豆というと「うーん」と顔をしかめる。

 

そういえば中学生の頃に、英語の先生が「嫌いな食べ物はなにか」と授業でみんなへ質問したことがある。なぜそうなったのか経緯を全く忘れてしまったけれど、トマトと答えた人が多く、私もその一人であった(今は好きである)

 

先生が、なんで嫌いなの?とみんなに聞くと、食感が苦手だと答えた。噛むとぶしゅっとでてくるあの感じが好きではないと。

先生が「味じゃないんだね」と笑った。味ではなくて一口目、噛んだときの感覚が嫌い、という。なるほど。面白いなあと思った。

 

 わたしのクラスではトマトが不人気だったけれど、日本での子供の嫌いな食べ物といえばピーマンだ。あのクレヨンしんちゃんも、ピーマン食べれる?とオープニングで歌ったほどの嫌われっぷりである。

 

子供の嫌いな食べ物は国によって違うようで、アメリカではブロッコリーらしい。

ピクサーの「インサイド・ヘッド」は11歳のライリーという女の子の「喜び」「悲しみ」「怒り」「嫌悪」「恐れ」の感情がキャラクターで出てくる作品である。

 その感情たちが、ライリーの頭の中で指令を出している。その感情たちの奮闘劇なのだが、冒頭でライリーが大嫌いな野菜を食べるシーンがある。アメリカオリジナル版はブロッコリーで、日本版はピーマンに替えられたようだ。

確かに、日本で放映されたときにライリーがブロッコリーが嫌いといっていても個人的な好き嫌いの話になってしまうが、子供の嫌われ者、ピーマンだったら幼少期という共通の印象になる。子供向けではあるが、ライリーの世界とライリーの頭の中の感情たちが同時進行に動く話で、面白い作品である。

  

 

ニューヨークにいたとき、学校のクラスメイトが「レッドベルベットケーキ」を休み時間にバクバク食べていて、びっくりした思い出がある。

真っ赤なスポンジに白のクリームが載ったケーキで、その赤が着色料とわかっていてもぎょっとした。

 

けれど昨今、そのケーキは日本でも有名になり「おしゃれなケーキ」の地位を築きつつあるとのこと。確かにハロウィンパーティにぴったりな見た目である。

 

ほか、わたしがニューヨークで知った初めて見た食べ物は「ベビーキャロット」だ。スーパーで小さい人参がたくさん袋売りされているのだが、友達がランチで袋からポリポリ取り出して食べていた。人参は火を通すものだと思っていたので、そのスナック感覚の食べ方に驚いた。

 

日本は食道楽の国である。大豆をあらゆる食品に変えたことも言えるし「ふぐ」、あれを昔は命がけで食べようなんてどうかしていると思う。

 

毒を盛った魚をさばいて食べようなんて、だれが思いついたのだろう。あるいは、しばらく毒があることを知らなかったのだろうか。その食い意地には頭が上がらない。食に対して好奇心旺盛な国民性なのではないかと思う。

 

 だがわたしは例外だったらしい。食道楽の血は騒がず、レッドベルベットケーキも、ベビーキャロットも一度も食べずに帰国した。

 

見た目もさることながらねばねばの食感の納豆は、海外の人からすると、とても特殊で気持ち悪い食品だろう。海外に納豆に代わるねばねば食品がないので、抵抗があるのも仕方ないのかもしれない。

 

納豆にベルベットケーキのようにおしゃれさもないし、ベビーキャロットのような手軽さもない。健康を打ち出しても、あの奇異な食べものを海外の人が食べることは難しいかもしれない。どうしたら納豆が世界で市民権を得るのか、少し気になる。