グアテマラとコーヒー 片桐はいり「グアテマラの弟」
わたしが、片桐はいりの「グアテマラの弟」をブックカフェで見つけ、手に取ったことは当然のことであった。
毎朝家のコーヒマシーンで淹れるほど、コーヒー好きだからだ。
特にブラックコーヒーで飲むことが好きで、お昼も必ず買うし、休日に友達と遊ぶ時は、勝手にカフェや喫茶店を調べ、連れていくほど愛している。
有名な俳優が著者というよりも、「グアテマラ」という単語に強く惹かれるもの無理はない。
遠い地球の裏側、グアテマラのアンティグアに住む片桐はいりの弟と、それにまつわる内容である。
年子で学生時代に仲が良くなかった弟は、気付いたら音楽にのめりこみ、そのまま南米音楽にはまり旅をし、グアテマラに腰を据え、現地のスペイン語学校を設立する。
グアテマラで奥さんとその連れ子を持つほど安定した、現地人となった弟とその周りの話、それと片桐はいりの家族のエッセイだ。
わたしにも兄がいる。
兄が家を出る前より、家を出て自立したほうが、一緒にご飯を食べに行ったり、飲みに行ったり、お互いの話をすることが増えたので、お互いの距離と親しさは決してイコールではないことは、すぐに理解ができた。
彼女の文章は、グアテマラのラテンな空気を鮮明に感じさせる。
標高の高い山々とごつごつした石畳、カラフルな街並み。
浅黒い肌の陽気で無邪気な人々と喧騒。
その情景がよく目に浮かぶ。
行ってみたいわぁ、、と何回も本を手放して妄想してしまうほど、魅力的であった。
片桐はいりという俳優がこんなに面白おかしく、また優しいまなざしの文章を書くことを初めて知った 。
それぞれ独立した家族の個性を描き分ける洞察力と、喜劇のように出来事を見ているところが、さすが俳優と思わせる。
一番好きなはなしは、と言われると半日ぐらい迷いそうなほど、盛りだくさんな内容である。が、あえて「鮫とシエスタ」という話をあげたい。
片桐はいりの母を、専業主婦で動き回り、一度も休まない様を「鮫」とたとえ、グアテマラのゆったりシエスタをする弟の奥さん、ペトラさんの生活を比較する話である。
ネタバレになってしまうが、最後の部分にどうしてもぐっとしてしまうため、引用する。
「止まらない母親は、長年の勤続苦労で腰が曲がり、すっかり足が不自由になってしまった。
それでもなお、止まることもなく昔の何倍もの時間をかけて家事に明け暮れている。
頼むから少し止まってくれ。
疲れたら迷わず横になればいい。
一日に一時間でもいいからぼんやりテレビを見ていてください。
いくらそうお願いをしても、曲がってしまった腰以上に、この昭和の主婦のど根性をたたき直すことはできない。」
体を大事にしてくれよ、と心配する気持ちと、働きものの母を誇らしくも思っている文章だと思う。
じっと母の背中を見つめているようで、切なくなった。
わたしが釣られたコーヒーについては、最後の「おやじとコーヒー」に書かれている。
このおやじがまさしく片桐はいりの親父についてなのだが、この話もぐっときてしまうような、温かくてユーモラスな話なのである。
ただ、特に興味がひかれたのは「グアテマラの人は、コーヒーをあまり飲まない」ということだ。
詳しい説明・諸説は本に記されているが、どうやら現地で飲むコーヒーは麦茶のように薄く、コーヒーと呼べないような代物らしい。
そして現地の人々はコーヒー、のようなものにたくさんの砂糖をいれるとのことである。
わたしは、フィリピン、タイ、台湾に行ったことがあるが、コーヒーをあまり見かけなかった記憶がある。甘い冷たい飲み物が多かった印象だ。
いったことはないが、ベトナムはコーヒーに練乳を入れて飲むそうで、暑い国は甘党が多い気がする。
暑い国にコーヒーは合わないのだろうか。
ただ、ハワイではたくさんのおいしいコーヒーがあった。
しかし、こちらも喫茶店でのまれるものではなく、水出しコーヒーやアイスコーヒーが多かった気がする。
(ハワイは、アメリカの州なので、少し例外の気がするが...)
ハワイのコナ地区でとれたコーヒー豆から作っているとのことで、ハワイのコーヒーはとってもおいしかった。さっぱりしていて、きりっとした濃い味だった。
基本的にアイスコーヒーは薄いものが多いので、それまでわたしはあまり飲まなかったが、ハワイの旅行中はしこたま飲んだ。
けれど、やっぱり親しみがあるのはあの、喫茶店や家でのむような苦くてコクのあるホットのブラックコーヒーだ。
わたしはコーヒーのように、嗜好品の好まれ方や扱いの違いが国によって違うことが、国民性や文化を表しているように思えて、その違いを見たり考えることが、大好きである。
もちろん、日本のものが独特であるということも大いにある。
ほかの国で生まれた友達から聞いたりするし「あれは嫌いだ」というような負の意見も聞くことがあるが、それもまたとても面白い。
グアテマラの薄い麦茶のようなコーヒーは、わたしの経験だと、ニューヨークのベーコンに例えられる。
日本のジューシーなものと違い、本場のもの硬くて、ひらべったい。
フライパンで炒めると、最初に油を引く必要がないんじゃないかってくらいの、ものすごい油がでる。
お前、その体にどんだけしみこませていたんだよ、と言いたくなるほどだ。
本場の人はそのベーコンをカリッカリ、もしくは少し焦がして食べるのが普通らしい。
どこでもカリカリで平べったくなって料理に出される。
ただ、あのベーコン、いまだに恋しくなるんだよな。
日本に帰ってベーコンエッグを食べるたびに、あのベーコンを思い出す。
絶対、日本で食べたベーコンの回数がはるかに多いんだけど。
わたしにとっては全然おいしくないし、しかも、食べたらがっかりするんだけど。
きっとわたしの経験から、そのグアテマラのコーヒーも、おいしくないけど恋しいものに分類されるだろう。
いつか、グアテマラに行って「がっかりする本場の味」を味わいたいと憧れるのである。