高度経済成長期の失望 三島由紀夫「命売ります」
「命売ります」
わたしの初めての記念すべき、三島由紀夫作品は、高尚で有名な作品ではなく、俗っぽいこちら。
1968年からプレイボーイに連載されていた小説のようだ「プレイボーイ小説連載があってことを初めて知った⁾
あらすじ。
自殺未遂をしたが、失敗に終わり、救急病院で目が覚めた。
コピーライターとして仕事をして成功をしたが、急に世の中がどうでもよくなったからである。
羽仁男はどうせ一度死んだ命だから、と自分の命を売ろうと思い立ち、会社を辞め
事務所を立ち上げる。
三流新聞に広告を載せると、次々と訳アリの客が羽仁男の命を買いに事務所を訪れる。
説明以上。
出だしからとてもリズムと勢いのある小説である。
自殺をしようと決心した部分が実に軽快で面白かったので、引用する。
そうだ。考えてみれば、あれが自殺の原因であった。
実に無粋な格好で夕刊を読んでいたので、内側のページがズルズルとテーブルの下へ落ちてしまった。
あれを、何だか、怠惰な蛇が、自分の脱皮した皮がズリ落ちるのを眺めているように、眺めていた気がする。
そのうち彼はそれを拾い上げる気になった。
打ち捨てていてもよかったのだが、社会的慣習として、拾い上げるほうよかったから、そうしたのか、いや、もっと重大な、地上の秩序を回復するという大決意でそうしたのか、よくわからない。
とにかく彼は、不安定な小さなテーブルの下へかがんで、手をのばした。
そのとき、とんでもないものを見てしまったのだ。
落ちた新聞のなかで、ゴキブリがじっとしている。そして彼が手をのばすと同時に、そのつやつやしたマホガニー色の虫がすごい勢いで逃げ出して、新聞の活字の中に紛れ込んでしまったのだ。
彼はそれでもようよう新聞を拾い上げ、さっきから読んでいたページをテーブルに置いて、拾ったページへ目をとおした。すると読もうとする活字が、いやにテラテラした赤黒い背中を見せて逃げてしまう。
『ああ、世の中はこんな仕組みになっているんだな』
それが突然分かった。わかったら、むしょうに死にたくなったのである。
いや、それでは、説明のための説明に堕ちすぎている。
そんなに割り切れたわけではない。ただ、新聞の活字だってみんなゴキブリの活字になってしまったのに生きていても仕方がない。と思ったら最後、その「死ぬ」という考えが頭にスッポリはまってしまった。
丁度、雪の日に赤いポストが雪の綿帽子をかぶっている、あんな具合に、死がすっかり彼に似合ってしまったのだ。
冒頭にあるこの文書を読んだとき、鳥肌が立った。
「不安定な小さなテーブル」というところから彼の社会的な生活が、「怠惰の蛇のように」のところから、彼の無教養さと無関心さが伺える。
「新聞」という「世間」を見下ろしたときに「ゴキブリ」というみじめで汚い意味のないものが新聞に隠れるのを見てしまう。
そこから、世間なんて汚くて意味がないものだと悟るシーンである。
羽仁男の目線が新聞→テーブル→落ちた新聞→ゴキブリ→拾い上げた新聞に代わるにつれ、価値観も変わっていく。
描写にリズムがあって、死を覚悟するには軽い文章に三島由紀夫万歳!!と思わずにいられない。
和製ハードボイルド。レイモン・チャンドラーみたいな小説である。
戦争の跡も随所に残っているし。
やたら羽仁男、スコッチ・ウイスキー飲むし。よくたばこを吸うし。
ロング・グッドバイ (ハヤカワ・ミステリ文庫 チ 1-11)
- 作者: レイモンド・チャンドラー,村上春樹
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すかした探偵でモテモテのフィリップ・マーロウは、自分から事件を解決しに行くが、羽仁男は、自分が「命を買ってくれる人」を待つだけ、その人の言いなりに動くだけなので、真逆である。
ニヒルなのにヒモになったり、SFチックだったり、この小説は何でもありだ。
しまいにはバンパイアも出てくる。
ただ、最高に面白い。帯に書かれている、エンターテイメント小説はぴったりくる。
途中から後半、羽仁男が、受動的な行動から能動的に切り替わってストーリーが変わるので、読む手が止まらなった。
三島由紀夫の政治色の強さや世間の見方などそこらに、ちりばめられているし、戦後まだ残っていたであろう差別用語もそのまま使われていたので、けしてただの娯楽小説ではない。
差別用語を編集でかえるかどうかは、出版社や世間によって議論が分かれるところではあると思うが、この単語が使われているだけで、当時の雰囲気がリアルに再現されるので、わたしは残したほうがいいと思うし、差別用語を使っていた過去を消し去るべきではないと思う。
ただ、当事者は傷つくであろう。本当に難しい問題だ。
三島由紀夫はこのハードボイルドでSEちっくな小説の、ファンタジーの中から、当時の「日本社会」を知らせたかったのではないだろうか。
羽仁男のコピーライターという、消費を促す仕事や、ゴキブリの描写から、資本主義をイメージさせる。
「戦争が終わって、浮かれやがってどうなっているんだい、日本は」そう聞こえてくるようだった。
奇しくも、2年後、1970年三島由紀夫は、あの有名なクーデターと演説で切腹自殺をする。
一台のテレビにある様々なチャンネルが最後、同じ一つの番組にまとまる。そんなき気持ちにさせられる小説であった。