のぐちよ日記

映画、本、アート、日々のことをちまちまと。

カードキャプターさくら展と作品について~さくらはなんのために戦ったのか~

先日六本木の森アーツギャラリーで開催中のカードキャプターさくら展へ行ってきた。

 

ccsakura-official.com

新たな「クリアカード編」のシリーズは見ていないが、旧シリーズの大ファンとして、大満足の展示だった。

ショートムービー、原画、特大ケロちゃんぬいぐるみなど。展示に大興奮し、感動したのだが、なにより、中国人カップルが原画のセリフを読みながら、彼氏(と思われる人)にあーだこーだ言っていた姿をみて胸が熱くなった。

 

 

そもそも『カードキャプターさくら』ってなんだっけ。

カードキャプターさくらは、CLAMPにより1996〜2000年にかけてなかよしで連載され、のちにアニメ化した少女漫画である。

「そんなアニメもあったなあ」「どんなストーリーだっけ」というひとたちのために、簡単にあらすじを説明する。

小学四年生の木之本桜(きのもとさくら)は、父と兄の三人暮らし。

ある日、父の書斎でとある本を見つけ、不思議に思い手に取ると、本の中に入っていた「クロウカード」が解き放たれ、飛んで行ってしまう。

本と共に目覚めたクロウカードの番人ケルベロス(通称ケロちゃん)から、クロウカードには、世界に禍いをもたらす精霊が封印されていたことを聞く。

世界平和のため、クロウカードを集めるというストーリーである。

バトルシーンのほか、さくらの日常生活も併せてストーリーは展開していく。

 

カードキャプターさくら」は他の少女漫画とは全く新しい、異色の作品であるのは間違いない。だからこそ、国内外で愛され続けているのだ。

 

ではそれはなぜなのか、わたしなりに考えてみた。

 

多国籍なキャラクター

まずひとつめに、キャラクターが多国籍ということだ。

メインキャラクターである、李 小狼(リ シャオラン)という男の子は香港の転校生で、物語中盤に出てくる柊沢エリオル(ヒイラザキエリオル)はイギリスの転校生である。

異世界が舞台の魔法少女だと国籍は関係ないが、現代劇で、しかもメインキャラクターが外国人というのは、それまでなかったのではないだろうか。

 

多様性という面でいうと、LGBTの要素もある。

 

新たな恋愛観

さくらが片思いしているのは、さくらの兄、桃矢(とうや)の高校の友達である、雪兎(ゆきと)だ。

のちにさくらは雪兎が桃矢のことを「大切な存在」だと思っていることに気づく。

そして桃矢も、雪兎と同じ気持ちであるとさくらは知り、なんの違和感もなく受け入れるのである。

物語の中では好き、片思いというニュアンスではなく「大切な人」と表現をする。

その表現は生々しさを消す効果があったけれど、わたしを含め、きっと多くの読者が「どういうこと?男の子同士じゃん」と不思議に思っただろう。

 

不思議に思うことはほかにもあった。

当初小狼は、雪兎に片思いをしさくらと恋のライバルであったし、主人公の親友である知世だって、さくらに片思いをしているのだ。

 

さらに、男女を超えた恋愛感情は、年齢も超える。

主人公の同級生である、利佳(りか)は学校の先生と付き合っているし、さくらの両親も、もとは先生・生徒の関係だったのである。

当時小学生だったわたしでも「犯罪なんじゃ…」と思うほどの設定。なかよしで連載し、NHKでアニメ化したことを考えるとさらに驚きである。

 

なんでそんな設定にしたのか。

わたしは、さくらの父にその答えがあるのではないかと思う。

 

さくらの父は、実の娘であるさくらに「さくらさん」と呼びかけ、誰に対しても礼儀正しく敬語で話す。

かといって子供たちは父へ敬語を使わず「お父さん」と呼び、ごく普通の対応。父は「敬語で話すのは口癖だ」と言い、子供たちに強要をしないのだ。個人を尊重しているのである。

 

そして主に父が登場するのは、エプロンを身に着け、朝食を作るシーン。

 さくらが何かに悩んでいても、信じて見守るスタンスは終始崩さず、身体を張ってさくらを守ったり、すすんでアドバイスをすることもない。

 

父親というより、母親のような存在なのだ。

 

このキャラクターからわかるように、作者は新たな親子関係や、価値観を表したかったのではないかと思う。

 

バトルコスチューム

セーラームーンをはじめ、魔法少女たちはステッキやコンパクトに向かって呪文を唱え、バトルコスチュームに変身する。

しかしカードキャプターさくらに、変身はない。

バトルコスチュームはあるが、さくらの親友、知世がオーダーメイドで製作する。オープンな魔法少女なのだ。

 

知世は衣装係だけでなく撮影係も兼任し、クロウカード封印のバトルは逐一ビデオで納め、上映会をする。

親友であり、サポーターであり、舞台裏スタッフである知世は、さくらへの思いを秘めながらさくらを「大切なひと」だというのだ。

 

それにしても、どうしてさくらは変身をせず、親友のバトルコスチュームで戦うのだろうか。

 

ありのままの姿で戦う魔法少女

 

「大切な存在」という表現をつかい男女、年齢を超え、人として好きという価値観から想像するに、さくらが変身をしないのは「さくらのまま」で戦うことに意味があるからだと言える。

 

それにしても、魔法少女がありのままの姿で戦うというのは、今までなかったのではないか。

そのことについては、アニメソングの歌詞に表れている。比較対象としてあげるのはセーラームーンの「セーラースターソング」。

 

苦しみがいま セーラアイズ

 奇跡をおこすの セーラウィング

だれだって 運命の星をもつ

まけない!明日へセーラエール

ゼッタイ!つかまえる!セーラスター

このちかいとどけ 銀河まで

 

 

「運命の星(己の使命)」のために、自身が成長(変身)しようとする姿。

強くなって、困難を超えるというニュアンスがある。

まけない!ゼッタイ!つかまえる!からも、目的を達成させる強い意志を感じる歌詞だ。

 

カードキャプターさくらではどうか。「プラチナ」という曲を例に挙げたい。

 

伝えたいなあ 叫びたいなあ

この世に一つだけの存在であるわたし

祈るように 星のように

小さな光だけど何時かは

もっと もっと 強くなりたい

 

限界のない 可能性がここにある この手に

It’s gonna be your world

 

自己肯定的表現である「この世に一つだけの存在であるわたし」。

「もっと強くなりたい」と言ってはいても、どうすれば強くなるかは「この手に」あるのだ。

伝えたい、叫びたいというところからも内から外へ放出するようなエネルギーを感じる。

 

セーラームーンが「成長し困難を超え、世界を変える」のに対し、カードキャプタさくらは「ありのままの自分が世界を変える」という、アプローチが印象的である。

 

作品の中で、さくらがよく口にする「ぜったい大丈夫だよ」というセリフ。

それには己の可能性を信じるという意思があり、さくらをそばで見守るキャラクター達の支えがあってこそ、言えるのだ。

 

「世界の平和のために戦う」ではなく「大好きな人たちを守るために戦う」魔法少女

 カードキャプターさくらは、とても現代的な価値観を取り入れた作品なのである。

 

最後に、カードキャプターさくら展で撮った写真でお別れです。

 

 

f:id:noguchiyo06:20181119172959j:plain

当時のなかよし表紙。

セーラームーンあずきちゃんカードキャプターさくらが連載していたなんて、胸が熱くなる。

 

f:id:noguchiyo06:20181119172326j:plain

 

 

f:id:noguchiyo06:20181119172515j:plain

 

知世が作ったバトルコスチューム。サイズが小さいのは、さくらの実寸大イメージだからだろうか。

 

f:id:noguchiyo06:20181119172549j:plainf:id:noguchiyo06:20181119172600j:plain 

クロウカードとさくらカード

 

f:id:noguchiyo06:20181119172727j:plain

 

でかケロちゃん。一緒に写真も撮った。

 

 

 

f:id:noguchiyo06:20181119172627j:plain

 

 さくら名言集。キャラクターの声で再生された。