早朝、Sガストの前にヴァンパイアがいた
昨日の早朝、近所のSガストの前にヴァンパイアがいた。
肩をがっくり落として、入り口に貼られているメニューを見下ろす姿は、哀愁が漂っていた。
しかもSガスト。普通のガストよりも小さく、カウンター席しかないお店である。
チーズインハンバーグを食べるヴァンパイアを想像したら、微笑ましくなった。
もちろんヴァンパイアは本物ではない。ハロウィンの仮装をした男性である。
まるで、ディズニー映画「魔法にかけられて」のジゼル姫を追いかけニューヨークにやってきたエドワード王子のように、彼は周囲から浮いていた。
なぜかわからないけれど、「祭りの後の寂しさ」というものにわたしはいつも惹かれる。
盛り上がれば盛り上がるほど、終わった直後のがらんとした空気がより引き立つ。ハロウィンのような、羽目を外しすぎるイベントなら特にそうだ。
今朝も通勤途中に囚人を見た。
わたしがじっと見つめると、彼は目線を合わせないようにしながら、足早に通り過ぎていった。
いつのまに、ハロウィンはここまで浸透したのだろうか。
お祭り騒ぎの前日、職場の人が「日本でハロウィンがこんなに流行るなんて思わなかった」と言った。
「コスプレのおかげですかね」とわたしが言うと「それは大きいよね。でも、日本は『カップル』を絡めると流行るってどこかで聞いたから、こんなに一般的な行事になるなんて思わなかったんだよね。ハロウィンってカップル関係ないじゃん」
そしてそのひとはイースターを例えに出した。
わたしは知り合いであるオーストラリア人の話を思い出した。
クリスチャンが多いからだろうか。オーストラリアのイースターは日本のバレンタインより盛り上がるらしい。
国民の興味関心がそのまま反映されている気がして、同じ行事でもそれぞれ盛り上がりが違うのは面白いと思う。
カップルで楽しむ行事が多かった日本は、ハロウィンでその傾向を変えた。
衣装を数人で合わせる姿をよく目にするし、フェイスブックに投稿される仮装は、年々クオリティが上がっていて笑ってしまう。
ハロウィンを第三者的な立場で語るわたしだが、じつは学生の頃、友達と数人で仮装したことがある。
「ロッキーホラーショー」に出てくるコロンビアの恰好がしたくて、通販でコスチュームを購入。当日の夜はクラブへ行った。
そのとき知ったのだが、どうやらロッキーホラーショーはマイナーな映画らしい。
海外ドラマの「Glee」でパロディをする回があるので、有名だとばかり思っていたのだ。
ナンパ男に「それ、ドンキで買ったの?」と言われた。
恥ずかしくなって、その日はいつもより多くお酒を飲んだ。
翌朝、わたしとともだちは疲れ切って、お腹が空いて、吉野家で牛丼をかきこんで帰った。
そのときは私服に着替えていたけれど、濃いアイメイクが崩れた顔は、相当見苦しかっただろうなあ。
その経験があるからか、あのヴァンパイアの気持ちはよくわかる。
違うのは、わたしはあのとき、牛丼を前に「二度とハロウィンで仮装をしない」と心に誓ったことだろうか。
ともだちとわいわいはしゃいだのは楽しかったけれど、単純に気がすんだのだ。
あれ以来仮装をしていないし、ともだちはまだ一度も「また仮装をしよう」と誘ってきていない。
もしかしたら彼もチーズハンバーグを前に、わたしと同じ誓いをしたのかもしれない。
ハロウィンのあと、ファーストフード店で迎えるそれぞれの朝。
それってなんだか、オムニバス映画みたいだなと思った。