よしもとばななの「まぼろしハワイ」を読んでハワイを語る
ハワイに行ったことがあるひと、ハワイが大好きなひとにとっては、その魅力に改めて気付かされる本だ。よしもとばななの「まぼろしハワイ」。
ハワイを舞台に、それぞれの話の主人公が、過去を振り返りながら恋愛や家族について考える短編集だ。
よしもとばななの作品は、少しスピリチュアルなところがあると思う。
神様とか魔法といったことをよく表現して書くからである。
抽象的なことがすきな作家だと思うし、それらを普段からじっくり考えているのか、才能からなのかわからないけれど(どちらでもあるのかもしれない)、ことばで的確に表現してくれる。
偶然の出来事にも運命を感じずにはいられない、という考えも感じるのだ。
わたしは神秘的なものに惹かれるし、よしもとばななのファンであるが一方で、「そんなのうそだ」と疑う気持ちがあるので、正直いってよしもとばななな作品の全てが好きなわけでない。
しかし、「まぼろしハワイ」は特別だ。ハワイは天国だからしかたない。
ご飯もおいしいし、日本語も通じるのでそういった魅力も、もちろんあるけれど、ハワイの魅力は目に見えない、神秘的なものなのである。
初めにわたしが「ハワイに行く予定のあるひと」だとか「ハワイに行ってみたいひと」と書かなかったのにはその理由からだ。
あの空気感は行ってみないとわからないのである。
だれでも、どんなものでも肯定してくれるような空気感は、論理的に理由を説明することなんてできない。
だから、ばななとハワイは相性バツグンなのだ。
小説を読んで、わたしは初めてハワイに行った時のことを思い出した。
それまで、日本人に人気とだけあって、海外の雰囲気を感じられないだろうと思い、自ら行こうとは思わなかったが、兄の結婚式のため行くことになったのである。
実際行ってみて、人気のわけが分かった。どうりでハワイで結婚式を挙げたくなるわけだ。
それは、到着した次の日、時差ぼけで五時半に目が覚めたときのことだ。
あたりはすっかり明るくなっていた。
高さのあるベッドに寝転がりながら部屋の窓からみた、ワイキキビーチがびっくりするくらい、美しかったのだ。
一瞬で目がさめて、海の冷たさがぶわっと体に押し寄せてくるような気がした。
ベッドから起き上がってバルコニーに出ると、潮が引き、きれいな海が割れ、うっすら砂浜が見えているところを人々が歩いていく姿が遠目で分かって、「ここは天国だ」と思ったのだ。
そして「これがほんとうのブルーハワイだ…」なんてあほみたいなことも思った。
あの朝のことは、硬いベッド、糊が付いたようにパリッとしたベッドスーツまで、はっきり今でも覚えている。強烈だった。
頭にバカンス後の仕事のことが渦巻いていたけれど、それを見たあとは、すっかり忘れてしまったのだ。
結婚式の朝は、大雨だった。
ホテルから、1時間くらい離れたチャペルで式を挙げる予定だった。
目的地へ向かう車の窓ガラスに、雨がばしばしあたってきて「ああ、雨の中の結婚式か」と思った。
しかし、到着してすぐ雨は上がり、青空になったのである。
水平線に落ちる太陽を、ばっちり見ることができた。「幸先良いね」と母と話した。お嫁さんの叔母さんは式の間ずっと泣いていた。
ハワイは自然に愛された島だと思う。
あついのにカラッとして、風はさわやかだし、磯のにおいもきつくない。
店員さんや住民もなにかあったら「まあいいんじゃないの、仕方ない」と笑ってくれそうなおおらかさを感じる。
しかし、さんざんハワイを絶賛していたが、決していい面だけではない。
ホームレスは多いし、夜はマリファナを吸っているような(正確にはわからないが)集団が海辺の公園でたむろしているからだ。
ハワイも、日が落ちると現実に引き戻されるのである。
結婚式前夜、兄とホテルの周りを散歩し、マクドナルドに通りがかったときのことである。
テラス席にホームレスがいたのだが、わたしは、とくに気にせずそのテラス席の壁に貼られていたポスターを見つけ、兄に「ねえ、百円マックってアメリカでもあんだね。一ドルマックだって」と話しかけた。すると、ホームレスが自分が馬鹿にされたと勘違いしたのか「そんなことより金払え!」と怒鳴ってきたのだ。
聞こえなかったことにし、通り過ぎた。びっくりして怖くて、冷や汗をかいた。
そのとき、ハワイは天国じゃないと気付いたのだ。暮らしてしまえば、きれいな海も空気もすべて、日常になってしまう。
最後に、短編集のなかでわたしが一番すきな「銀の月の下で」を引用したい。
このまま居残って、なんだかよくわからない毎日を送りたい。旅に出るといつだってそう思う。でも日常になるといつのまにかルーチンができてくる。人間はそれが大好きだから。
朝飲むのはいつも同じところで同じもの。起きる時刻も着る服も、買い物をするお店もだんだんだんだんしぼりこまれてくる。そして旅は日常になり、自分はどんどん自分になっていく、ただそれだけだ。
どこにいようがそうなのだ。だからいつも私はこういう意外な一日が好きだ。
ハワイは旅をする場所、「まぼろし」の場所なのである。