カポーティ作品を2冊読んだ感想 (「ティファニーで朝食を」、「カポーティ短編集」)
トルーマン・カポーティ(1924-1984年)の短編集を2冊読んだ。
今となっては映画のほうが有名であろう「ティファニーで朝食を」と、「カポーティ短編集」(河野一郎訳)である。
ティファニーで朝食をは1958年出版、1961年に映画化した。
じつは、数年前に映画を見たことがある。そのときの感想は「オードリー・ヘップバーンのアイドル映画」。
当時のニューヨークの雰囲気が出ていて良かったけれど、窓辺でギターを弾きながらムーンリバーをうたうオードリーや、ジバンシィのブラッグドレスを着こなすオードリーは素敵で、むしろそれだけの映画だなと思った。
そんなわけで、高評価の原作を読みたいと思いつつ、遠ざかっていたのだ。
それは映画だけの問題ではなく、今主流になっている、村上春樹訳だからというのも大きい。
村上春樹の小説嫌いだし(エッセイは好き)どうしても有名な小説家が翻訳したものは小説家の色がついてしまうのではないかと気にしていたのだ。特に、村上春樹のような、個性の強い作家ならなおさらだ。
しかし、先週の京都旅行で下鴨デリにも、恵文社にも村上春樹訳が置かれていたのでもう観念した。恐る恐る読んでみたのだが、映画が微妙だったとか、村上春樹がどうとかそんな心配を忘れるくらい没頭して読んだ。
映画と違う内容に驚いたし、評判通り小説のほうが面白い。翻訳もとてもよかった。
ティファニーで朝食をは、第二次世界大戦下のニューヨークが舞台である。ニューヨークの社交界を若さと美貌で人気者に上り詰めた、ホリー・ゴライトリーという19歳の女の子についての回想録だ。
語り部は元同じアパートの住民であり、作家の卵のフレッド(ホリーが『わたしの兄に似てるからフレッドって呼ぶわね』と勝手につけられたあだ名で、主人公はそう呼ばれている)で、ホリーに憧れつつも、彼女を支えた友人である。
作品はこれでもかと、ホリーの魅力が描かれている。かわいくて無邪気なのに達観している、二面性のある女の子に、フレッドも社交界の男性もメロメロなのだ。わたしもその魅力にやられた。
好きな部分をひとつだけあげるとすれば、ホリーがティファニーについて語るところだろう。ティファニーというブランドの純粋なファンなのではなく、あくまで例えなのだが、そこがとても気持ち良い。
引用すると長くなってしまうし、彼女の悲惨な生い立ちがあってこそひきたつ文章だと思うので、ぜひ読んでみてほしい。
ティファニーで朝食を以外でも、ほかにもいろいろおもしろい作品はあるんだけれど、とても長くなってしまうので、ここではわたしが感じた、カポーティの魅力について語ろうと思う。
まず、文章の美しさ。例えるなら冷たい澄んだ水だ。無駄なことはなに一つなくて、良いことも悪いことも、そのまま映してしまうような冷たさと透明さがある。
実はそういう風に思ったことは以前にもあった。江國香織の「冷静と情熱のあいだ」である。
この二人になにか共通点があるとも思えないけれど、わたしの感覚的なところでは同じなのだ。
この感覚は意外にあっているらしい。カポーティ短編集の訳者あとがきで、河野一郎さんはこう書いている。
カポーティの文体を、「アイスティーのグラスがたてる澄んだ音にも似て、心持ち甘く、透き通って冷ややか」とある批判家は表現した(タイム誌一九八七年九月七日号)
わたしの印象はあながち外れてはいなかったようで、ちょっと誇らしい。原文を的確に訳したということもあるだろうけれど、カポーティの文体は特徴があって、だれでも共通した感覚があるのだと思う。
そして、もうひとつは「誰にも理解できなくても、はたから見たらおかしくても、自分(主人公)が良ければそれでよいのだ」と思わせる結末だ。
何かを失っても、力強く歩いていく強さがある。
ちょっとエゴイスティックともいえるような、ある種のハッピーエンドという感じで終わるものが多い。まだ2冊しか読んでないけれど、高校はいかず、23歳という若さで天才小説家として活躍したカポーティは、人とは違う経験をたくさん重ねてきたのではないかと思う。作品に人生観が強く反映されているように見える。
ただ特徴的な文体なだけあって、読みづらいと思う作品もあった。カポーティ短編集の「ファンターナ・ヴァッキア」と「無頭の鷹」、ティファニーで朝食をの「クリスマスの思い出」である。カポーティの頭の中で書かれているような、(文章はそういうものなんだろうけれど)とても感覚的な文章なのだ。抽象的な表現が好きな人にはぴったりなのかもしれない。
ここで、わたしが印象に残った文章を紹介する。
孤独が生活にしのび込んできた。僕の心はなぜか落ち着かなかった。しかしだからといって、他の友人にも会いたいという気持ちも湧いてこなかった。彼らは今では、砂糖も塩も入っていない料理みたいにしか感じられなかった。水曜日が来る頃にはもう、僕の頭はホリーのことや、シンシン刑務所とサリー・トマトのことや、化粧室に行く女性に五十ドルを手渡す男たちのいる世界のことでいっぱいだった。(ティファニーで朝食を)
我々は一度大きな仲違いをした。その台風の目でぐるぐるまわっていたのは、くだんの鳥かごであり、O・J・バーマンであり、僕の書いた短編小説だった。(ティファニーで朝食を)
囚人農場からいちばん近くの町まで二十マイルの距離がある。(中略)
大きなだるまストーブがひとつ据えられているが、このあたりはおそろしく冷える。松の木が霜のおりた針葉を波立たせ、月が凍てついた光を地表に落とすころ、男たちは鉄製のベッドに横たわり、眠ることもかなわず、その瞳にストーブの炎を映し続けるのだ。(ダイアモンドのギター)
台所はだんだん暗くなってくる。夕闇が窓ガラスを鏡に変えてしまう。暖炉のそばで火に照らされて手仕事をしている僕らの姿が、昇ってきたばかりの月と重なり合う。(クリスマスの思い出)
やれやれ、あの女の舌がやっと静まったとは、何という救いだろう。そう思うと気が休まり、新しく借りた静かな独身者用のアパートも目の前に浮かんできて、なおのことほっとした気分になったが、その日の朝燃え上がりにわかにかき消された不滅感と、生きる喜びの実感にふたたび火がつかなかった。(楽園の小道)
今気づいたけれど、ほとんどティファニーで朝食をからの引用だ。
カポーティ短編集は、個性的で設定も結末も面白い作品が多いので、おすすめである。
じつはティファニーで朝食をは、近所のブックオフで購入した。
ページに、持ち主がしおり代わりに挟んでいた、駅中の本屋のレシートが出てきてぞっとした。知らないひとの形跡って気持ち悪いものである。
売る際は、そういうの捨てておいてください。お願いします。
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