開き直りで今日を生きる
就職の面接はボロボロだった。
一通り話を終えると面接官は、「選考が終わったら連絡しますね」と目を合わさずに言い、エレベーターへ誘導したのである。
会社を出てから、履歴書を破り捨てたくなった。わたしの受け答えがよくなかったせいであると思う。けれど、感じの悪い面接官と脈略のない自分の経歴に、無性に腹が立ってきたのだ。
そのうち、「本当にどんな人かなんて、数分ではわかんないのに経歴だけ見て。上っ面な面接してなんになるんだ」なんて場違いな、世間への八つ当たりまで発展して、衝動的に電車を乗り継ぎ、神保町へ向かっていた。
雨のジメジメした道を行くよりも、まっすぐ家へ帰ってジメジメするほうが嫌だったのだ。
探し物のない本屋めぐりは特に得られるものはなかったけれど、それだけで帰るのは惜しかったので、モヤモヤした気持ちと喉の渇きを抑えようと喫茶店に入った。
コーヒーを飲んで一息ついているときふと、まえにラジオに出演していたフリーランスの書店員、久禮亮太さんのことを思い出した。数件の書店に久禮さんが選書をしているという。そのとき紹介されていたのは「神楽坂モノガタリ」というブックカフェだった。
神楽坂へは、ほとんど行ったことがないけれど、神保町からだと15分ぐらいなのでついでに行ってみることにしたのである。
神楽坂モノガタリに置かれている本は個性的で、わたしの知らない本がたくさんあったので、すごく知的好奇心を刺激された。
何より面白いのは、普通の本屋さんのようなジャンル分けをしていないところである。イングリッシュガーデンについての本の隣に「秘密の花園」があるのだ。
哲学書、小説やエッセイ、ビジネス書もごちゃまぜだったけれど、それが連想ゲームみたいに繋がっていて、どれも手に取って眺めたくなった。
ひとつひとつ本を見ていった中に、2016年に40歳の若さで亡くなった雨宮まみさんの「東京を生きる」を見つけた。
元々知ってはいたけれど、読んだことはなかった。しかし帯に書かれている文章の引用を読んでがつんと頭を殴られた気がした。
「東京なんてただの場所だから」。
そう言われるのを聞くと、私は「恋愛なんて、ただの幻想だから」という言葉を思い出す。
「恋愛なんて、ただの幻想だ」と、自分はすべてわかっているみたいに言うひとのことを私は内心、軽蔑している。幻想を見る以上に楽しいことが、この世にどれだけあるのだろうか。幻想を幻想だと見切ることでどれだけいいことがあるのだろうか。
町で見かけた人たちを「野暮ったい」とか「おしゃれだ」と値踏みをしたり、高級な服をたくさん買って、お金が欲しい、セックスがしたい、足りない、もっと欲しい、良く思われたい、と語る欲望全開のエッセイである。
共感するところも多いし、苦しくなるけれど
「何者でもない、自分は自分。欲しいものは手に入れる。やりたいことは誰が何と言おうとやる」と言う雨宮さんはかっこいい。その反面、きりのない欲と、自分がこれからどうなっていくのかという漠然とした不安をも、さらけ出すところは更にかっこいいと思った。
もっと長生きしてほしかったなあと悲しくなった。
というわけで、わたしのもやもやを晴らしてくれたのは、自己啓発本でも、アドラーの本でもなく、自身を赤裸々に語った雨宮さんのエッセイだったのである。
どうすればよかったのか、これからどうしていけばいいのかも、 何となく分かってはいる。
けれど、本能のままに生きてなにが悪い!と今日は思いたい。一歩進んで二歩下がる。開き直りと反省の、繰り返しの日々だ。