ルドンと春とギリシャ神話 オディロン・ルドン「ルドン―秘密の花園―展」
春の鮮やかな花々で描かれた展覧会があることをご存知でしょうか。
オディロン・ルドンは1840年にフランスで生まれた画家である。ロダン、モネと同じ年の生まれで、抽象主義を代表する、版画とカラフルな油絵で有名な画家だ。
彼の版画は、当時発売されたダーウィンの種の起源から着想を得た、植物と人体(目や顔)を合わせたすこしグロテスクな作風で有名である。
ルドンは、遅咲きの画家であったが、若い時は文筆家か画家になるか迷い、画家を選んだそう。当時のセンセーショナルな書物にも興味を持ち、作品に自己解釈を加え、落とし込んだところは文筆家と画家、その両方の要素を合わせ持った人物であったのではないかと思う。
今回展示されていた作品の、わたしの中のベストがこの「眼を閉じて」である。
この絵に、ルドンの特徴が詰まっていると思っている。ビビットに近い明るいブルーの背景、咲き乱れる花々、はっきりと描かない主役の人物。
この人物さえ、彼の中では風景の1つであるような象徴的な表現が、よりこの人物の内面を表しているように思えてならない
今、彼女は眼を閉じた。彼女はうたた寝なのか、眠りにつく前なのか。あたりは彼女の幸せな夢が浮かんでいる。そのうち体もふわふわと浮いて、意識は遠のき眠りにつく。
もしくは、彼女は遠い幸せな記憶の中にあるのかもしれない。遠い故郷か、遠い過去の恋人か。当時の幸せな記憶が色鮮やかに彼女のもとにやってきて、満たしているように見えた。
抽象的な絵画は、勝手に妄想を膨らませてくれるので、見ていて本当に楽しい。
ルドンは鮮やかな色や、パステルで花や蝶を描くけれど、切ない話が多くそれも魅力の1つだ。
妻を失ったオルフェウスは、ディオニューソス(農穣とブドウ酒の神)がトラーキアに訪れた時、オルフェウスはディオニューソスを敬わず別の神様(ヘリーオス)が最も偉大な神様だと思っていたので、それに怒ったディオニューソスがマケドニアでマイナス(ディオニューソス、バックスの女性信者、凶暴で理性を失った女性)たちにオルフェウスを襲わせ、マイナスたちは、オルフェウスを八つ裂きにして殺す。
そして、マイナスたちはオルフェウスの首を川に投げ込んだという話である。
身勝手な神様が怒った話で、オルフェウスからするととんでもなく悲劇である。
首が琴に乗って川を下るこの描写は、彼が琴を奏でるのに秀でていたからで、オルフェウスの象徴となっている。
悲劇であるのに、オルフェウスはとても安らかな顔をしていて、死ぬのを待っていたような気さえしてくる。
じつは、オルフェウスは妻がなくなったときに、妻を心から愛していたので冥界の神、ハデスに蘇らせてください!と直談判しにいくのだ。
その音色は番犬ケルベロスも、ハデスでさえもうっとりとさせ、妻を現世へ連れ戻すことを許したのである。
けれど一筋縄ではいかないのがギリシャ神話。
ハデスは「冥界を出るまで、妻の顔を見てはいけない」とオルフェウスに約束させます。
オルフェウスが手を繋いで後ろからついてくる妻を連れて歩くんだけれど、出る間際、あともう少しのところでオルフェウスは振り向き、妻の顔を見てしまい、たちまち妻は冥界に引き戻されてしまう、という話である。
もしかすると、オルフェウスは八つ裂きにされながらもやっと妻の元へ行けると、思っていたのではないだろうか。彼が下っている川の先には大きな花が咲き乱れている。とても悲劇的な様子には見えない。
冥界で、オルフェウスが妻に会えるといいなあ。
今回は来なかったけれど、わたしが一番好きなルドンの絵もギリシャ神話がもとになっている。
「キュクロープス」である。
最も有名なキュクロープス(1つ目の巨人)、ポリュペモースに愛された、ナイアース(水辺の妖精)、ガラテイアの絵である。
ポリュペモースは1つ目の巨人で、悪役として神話に登場するが、ルドンはおとなしくそっと最愛のガラテイアを見つめている絵を描いている。
ルドンの版画もダーウィンの種の起源を題材にしたものだと、1つ目のモチーフがたくさんでてくる。彼にとって目は重要な題材なのかもしれない。
近づくこともできず、岩陰からそっと見守る姿、切なすぎる。
実は、この絵を始めて見たのは「美の巨人たち」の本で紹介されていたからである。いつか実物を見たいな。
今回のルドンの展示は、盛りだくさんで他にもドムシー男爵の食堂装飾というものもある。
ドムシー男爵というフランス貴族で、城の食堂をルドンの花の絵が飾られたということで、実際展示には、作品はもちろん当時の配置も忠実に再現されている。
展覧会は5月20日で終了となる。ぜひ、実物をたくさんの人たちに見てほしいなあと思う。
※参照https://ja.wikipedia.org/wiki/オルペウス