のぐちよ日記

映画、本、アート、日々のことをちまちまと。

長い長い物語の記録 石内都 肌理(きめ)と写真展

頭に雷が落ちたようだった。

石内都さん「肌理と写真」展のわたしの感想である。

yokohama.art.museum

 

 

岩内都さんがエッセイ「写真関係」でこう語っている。

頼まれて撮る写真は、シャッターを切る相手、たとえば目の前の風景や人物が私と何らかの関係が持てないと、指先が対象と連動しない。シャッターを押せばレンズの前にあるものは写し取れるけれども、それだけは面白くない。レンズを向けるその相手はどこかで何かが私と重なり、一瞬記憶のかけらが現れて、急いでカメラの中にしまいこむ。これがわたしの撮影方法だった。

 

大まかに「横浜」「絹」「無垢」「遺されたもの」でテーマ分けされているが、すべて写真家のルーツや接点があるものになっている。テーマごとにわたしの思ったことを素直に書きたいと思う。

 

「横浜」は、彼女が育った横浜の風景の写真である。わたしが特に目をひかれたのが、アパートの廃墟の写真である。モノクロ写真で、取り壊す前の写真らしい。

壁がただれていたり、食器やガラスが粉々に砕けて床に落ちていても、怖いとか不気味だとは感じなかった。このアパートが建ったばかりの、ぴかぴかの頃もあったんだろうなあと、アパートの歴史を想像した。

 

SKINと題された男性の体を写した作品でも時間の流れ、軌跡を強く感じた。

数えきれないほどの腕の皺、手の皺、肌理が画面いっぱいに写っている作品である。

 ふとわたしが服飾学生の頃、服のパターンの授業で先生が「人体はすべて丸みを帯びていて、直線の部位はどこにもありません」と言っていたことを思い出した。

体だけではなく、自然界に直線的なものなどない。均等なものもない。年輪も楕円である。

皺や肌理は無数の曲線になっており、このモデルの方が歩んだ年月を表しているように思えて素晴らしいと思った。曲げた腕から服のドレープのようになだらかに、細かく皺が刻まれている。皺は長い人生で刻まれた、その人の生きた証であるということに気付かされた作品であった。

 

「遺されたもの」の展示は石内都さんの実母の遺品を写した作品である。

下着や口紅、衣類などの日用品が被写体だ。

遺品はすでに過去のものであるが、使っていた形跡が残っており、持ち主の軌跡がそこにある。

一瞬の美しさを表現する写真に時間の流れを感じて、とても不思議な感覚だった。

 

また、「遺されたもの」で「ひろしま」シリーズがある。

平和祈念資料館に寄贈された被爆者の遺品を撮影したもので、遺品それぞれに血の跡があったり、焼けていたりで損傷がある。犠牲者を思うと心が痛んだ。

袖が通されていないワンピースの持ち主は、身長はどのくらいだっただろう。好みはかわいらしいものだったんだろうなあ。

どのような人だったか想像を掻き立てられ、一般の方々が原爆の犠牲者になったことをより強く印象付けさせた。

照明を当てたくなかった。出来る限り自然光のもとで撮影することによって、人の身につけていた品物が、今は亡き持ち主を思い出すかもしれないと…。小さくたたまれていたブラウスの折じわをていねいに伸ばし、ガラス窓から差し込む太陽の光の中におく。

一瞬、水玉模様や花柄が反射して、着ていた彼女が浮かび上がる。

(岩内都さんエッセイ「写真関係」より)

 

わたしはどうも、写真は風景の一瞬を切り抜くことだと思っていた。

日差しや影、風を受けた時の布や髪などを正確に描写するものにぴったりな表現方法だと思っていたけれど、それだけではないということを知ったのである。

一枚の、断片的な記録ではなく石内さんの作品は、長い長い物語の記録だ。被写体のなかに人の暮らしや、出来事が潜んでいる。とても尊いものだ。

今回の写真展から、新たな写真の表現や解釈を学んだ。衝撃だった。

けれど写真が身近に、そしてより奥深いものに感じることができて、本当に行ってよかったと思う。

 

最後に「絹」について。

石内都さんの生まれ故郷は群馬県桐生市で、ご実家が養蚕農場だったそうだ。

たくさんの絹でできた「銘仙」の写真が飾れらていたのだが、どれも色とりどりで柄も派手である。

銘仙とは、そもそも大正・昭和の女性たちが普段着として愛用していた着物らしい。大量に作られた、平織の絹の生地のものだ。

戦後絹は大半が輸入になり、中国が主な生産地に変わり、日本の斜陽産業となってしまった。写真に写る着物の柄は鮮やかで、生き生きしていることが少し物悲しい。

わたしは小学校の頃に、蚕を授業で飼ったことを思い出した。

蚕はあの小さいからだで桑の葉をわしわし、ものすごい速さで食べる。その蚕の必死さがわたしにはすごく気味が悪かった。

その蚕も成長しやがて繭になり、その殻の糸が人の手によって絹になる。

柔らかく、光沢があってそのためお高くて、お手入れが難しい絹。

あんな気持ち悪い虫があの素晴らしい糸になるなんて。生き物って本当に不思議だなあと思ったのであった。