のぐちよ日記

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悔しさをばねに偉業を成し遂げた女性の大河小説 渡辺淳一「花埋み」

渡辺淳一の「花埋み」読了ほやほや。本の感想を書きたいと思う。

 

 

花埋み (新潮文庫)

花埋み (新潮文庫)

 

明治時代に誕生した、日本初の女医の生涯を描いた伝記小説である。

主人公の吟子(本名は吟)は、利根川近くの旧家に生まれた。17歳で結婚をしたが、夫に淋病(性病である)をうつされ嫁ぎ先に何も言わず、実家へ戻り夫から離縁される。

なかなか芳しくない病状から、地元の先生の紹介で東京へ治療を受けるが、当時は医師は男性のみの職業。局所の診断をうけることに辱めを受けたと感じた吟子は「同じように性病に苦しむ女性たちを助けてあげたい」という気持ちから女医を目指す。時に医師を目指す男性たちからいじめを受けたり、当時の社会から「女性が医師になるなど」という偏見差別と闘いながら、立派に医師になる。

そののち、女性の社会進出こそ女性を真に救う道だと、医療の現場で思い知った吟子は社会運動に参加し、第一人者となる。

 やがて「人間は神のもと平等である」というキリストの考えに感化し、キリスト教を通じ宣教師を目指す夢見がちな十四歳年下の男と結婚し、男の夢であった「キリスト教徒だけの楽園」を作るため、未開の地であった北海道へ渡る。

しかし、伝道に従事した夫は急性肺炎で病死。彼女の修得した医療はすで時代遅れとなり、自信のなくなった吟子は東京に戻る。最期は開拓時代に夫の兄弟から譲り受けた養子トミに看取られ、死去する。

 

長くなってしまったけれど、これが吟子の生涯であり、小説の内容である。

伝記小説といはいえ、ここまで内容を語ることはないじゃないか、といわれるかもしれないけれど、この小説は筆者の「細部にまでこだわりとことんリサーチした時代背景、キャラクターの性格」が大きな魅力だ。

 

そもそも、著者の渡辺淳一は北海道生まれの元外科医という人らしく、吟子と重なるところがあるので、興味を持つことは当然のことといえるかもしれない。並々ならぬ探求心と自身のルーツからこの小説をできたかと思うと、とても素晴らしいことだと思う。

 

一つ、引用したいと思う。

吟子が三十半ば、医師として江戸に開業し、女医を目指す女性たちを自分の病院の上の階に部屋を貸し、勉強と手伝いをしてもらっていた頃に、その女性がつかの間の息抜きで出かける一場面である。

 

湯島神社の二十五の賽の日に新しく入った新しく入った看護婦の関口ととみ子が外出の許可を貰いにいった時、吟子は机に向かって部厚い本を写していた。

「誰とですか」

「おたよちゃんとです」

とみ子は最近新しく入った下働きの女中の名を言った。

「明るいうちに戻るですよ」

そう言って振り返った時、吟子の眼が急に険しくなった。

「それではいけません」吟子の鋭い声が立ち上りかけたとみ子の腰を引き降した。とみ子は吟子の急に怒った理由がまるで分らず、ぼんやりと顔を上げていた。

「なんです、その髪は」

「髪を…」とみ子は思わず花簪に手を当てた。

「分からないのですか、島田潰しは普通の子女のするものではありません。もと宿場の飯盛り女とか、遊女が好んでしたものです。そんな髪形をしていて別の女と間違われてもいいのですか」

「でも…」

髪はつい今しがた、一時間近くの時間をかけてようやく結い上げたものである。この頃、下町の娘達の間で流行り出したものでとみ子達も見た目に粋なところが気にいってしただけのことである。

「そんな卑しいもの、すぐ壊しなさい。そのままでは外出は許しません」

このあたりが吟子の考えの面白いところで、廃娼運動の先頭に立ち、芸妓や廓の女も同じ人間だと訴えながら、彼女等の身装をや所作事は軽蔑しきっていた。これは彼女等の人権は認めているが、生活のありようは認めないということになろうが、その奥には色街の女というものへの憎しみもと蔑視があった。吟子が彼女等の解放を叫ぶのは彼女等が哀れで一段下った女であるからでもある。初めから対等には見ていない。それは良家に育った吟子の宿命的なものの観方であり離縁されてことにより一層強まった考え方でもあった。

 

小説、特に時代小説を読むとわたしは「今だったら、こうはならないのになあ」とどうしても現在と比べて読んでしまうので、読み終えてもやもやした気持ちにさせられることが多い。

それは仕方ないことであるけれど、この引用部分でわかるとおり、ただならぬリサーチの末書いているので自然と「ああ。この時代ではこうなのか」と納得させる。

当時の髪の結い方、どのくらい時間がかかるか。髪結いによって身分が違うこと。下町の新しいトレンド。吟子のストイックな性格と、ルーツ。

すべてが集約されていて見事である。

 

吟子はストイックで勝気な女性であることが、小説からわかるのだが、著書は引用部分のように常に語り部の立場から書いている。

吟子の気性の激しさ、正義感の強さに筆者が憑依して描くこともなく「この土地に育ったから、こういう人だ」という当時の風習や参考文献をもとに、とても冷静に分析したキャラクター描写をしているところがすごいなあと思った。

 

一気に読み終えてしまったけれど、やっぱり、吟子が最後当時の女性らしくなってしまうところにああ…もっと社会運動頑張ってほしい、正しく近代化を推し進めてほしいと思ったが、それは人のことなので仕方がない。残念だけれど、フィクションほど人は正しくできていない、だがそれが魅力である。

 

最期は失意の中亡くなった吟子だけれど、医者になった後も、吟子はいつも寝る間も惜しんで勉強をしているような人だったらしい。だからこそ、彼女は偉業を成し遂げられたのだ。

 

わたしにもその情熱分けてほしいなあ、とあほみたいなことを考えたのだった。