変わったところと変わらずあるところ 村上春樹「やがて哀しき外国語」
良い時代に生まれたと思う。
日本の「アニメ」が世界的にもてはやされて地位を築いたというのは、良いことだ。
そのおかげで、海外旅行、短期留学中に大きな差別をされた経験は今のところない。
日本出身だよ、と話すと社交辞令も勿論あると思うが相手は「Oh Cool」と言って、知りうる限りの日本の知識(主にアニメ、TOKYO、酒が多い)を披露してくれる。
それ以前、90年代のアメリカを私は知らない。
村上春樹が アメリカ、ニュージャージー州のプリンストンに大学講師として二年半、生活をした時のエッセイである。
わたしがこの本を手に取ったのは、ニューヨークにいた頃であった。
当時、日本語の文章を渇望していた私は、救いを求めブライアンパーク前の紀伊国屋へ駆け込んだ。
正直、村上春樹はあまり好きではなかった。
過去に一度「海辺のカフカ」を読んだときに性描写にうっ・・・となったのと、文体がアメリカ文学に似ていると思ったからだ。(今思えば、タイトルのカフカにちなんで少しシュールレアリスムっぽい表現も多かったので、馴染みがなかったせいもあるかもしれない)
昔から、レイモンド・チャンドラー、F・スコット・フィッツジェラルド、J・Dサリンジャーを読んでいたので、雰囲気が被る部分が多くてあまり魅力的に感じなかった。
実際、村上春樹はこの作家たちを好み、翻訳をしていたことが後にわかった。趣味はばっちりなのに、似た雰囲気の作風は好きではないというのは、私自身、硬いやつだなと少しがっかりしたが、そこから村上春樹作品には遠のいていた。
ただ以前と事情が違う。紀伊国屋にいたとき、わたしはとてつもなく日本語を欲していたのだ。
本屋のあまりない品揃えに、日本で暮らしていた時の偏見は吹っ飛んでいたのである。
なにより、「やがて哀しき外国語」、このタイトルがすごく美しいし、ましてや私の大好きなフィッツジェラルドの母校が出てくるなんで!運命を感じて購入。
今、文庫本の裏面に張られているバーコードを見ると、値段が8・25ドルであった。
当時1ドル、115~120円でかなり高かったと記憶している。そのため、毎晩1章ずつゆっくり、惜しんで読んだいたことを思い出した。
時代背景は90年代初頭。日本のバブル経済~崩壊で、日本の車産業がアメリカを追い越した時期でもある。アメリカの経済の落ち込みと、閉鎖的な雰囲気が感じられる時代だ。不景気のストレスが差別につながったんだろうと思う。日本差別も多く出てくる。
携帯もパソコンもない時代に、村上春樹は自身が知るアメリカ文学や、当時のアメリカ経済の知識を交え、「住んでみたらこんな感じだよ」と軽快に語っている。
わたしは「海辺のカフカ」のアメリカ文学っぽいところと、きざっぽい感じを受ける文章をイメージしていたので、村上春樹の素朴で知的な文章を書くことに驚いた。
彼が住んでいたプリンストンは保守的な地域であったので、あくまでアメリカの一部に過ぎないが、当時私がニューヨークで暮らしていた、リアルに感じたアメリカと、90年代のアメリカを比較できたことは、すごく面白いことであった。
今やインターネットが発達してだいぶたち、世界情勢も、家にいながら知ることができるようになった。
そのため、冒頭で触れたアニメも世界に知れ渡ったし、日本の観光地も海外のひとたちはよく知っている。(酒飲み、アングラ好きはゴールデン街を好むので「日本のおすすめの場所はどこ?」と聞かれたら新宿のゴールデン街と答えておくのがおすすめである)
アメリカの情勢も大きく変わり、アメリカ人が変わるのは、当然のことといえる。
ただ、変わらないことも多くある。
たとえば、ストリートや地区など住む場所によって人種分けされているところである。
アメリカは差別にすごく敏感な国なのに、「あそこはヒスパニック系だ」と、平気で言うところがすごく興味深いと思うし、不思議に思う。
本には書いてないけれど、もっというなら、アメリカの映画やテレビなどで、人種の自虐ジョークをよく言うところも謎だ。自分で言うぶんにはOKなのか。
当時のアメリカと、現代のアメリカ。時代とともに変わったところと変わらずあるところ。比較して読んでいくのにも十分面白いエッセイだと思う。