「乳白色の肌」の画家 藤田嗣治と近代史について
「もしも生まれ変われるなら、どの時代に生まれ変わりたい?」
と聞かれたら、わたしはエコール・ド・パリと即答できる。
ちなみに、同じ問いを母に尋ねたことがある。答えは、江戸時代の江戸(東京)だそうだ。
どうして?と聞くと
「表参道とか、地価が高くなるところを買い占めて大地主になる!」と堂々と言ってのけた。まるで、海賊王に俺はなる!のテンションである。なんて夢のない発言だろうか。わが母ながら軽蔑する。
エコール・ド・パリとはなにか。
20世紀前半に(正確には第一次世界大戦後)パリのモンパルナスにあつまった、フランス以外の出身画家たちが活躍した時代のことだ。
わたしの好きな画家を例にすると、ピカソやシャガール、モディリアーニがあげられる。
印象派の時代が終わり、時代が戦争へと向かう最中、キュビズム・シュールレアリスムが生まれた時代である。
歴史が大きく動くときに、アートも大きく変わるのだ。
エコール・ド・パリについては、また別の機会で書きたいと思っているが、今回は「藤田嗣治」についてだけ書きたい。
わたしは藤田嗣治の大ファンである。
彼は「乳白色の肌」で知られる日本人の画家だ。女性の肌を透明感のある白色で再現し、浮世離れした油絵を描いたことで有名である。
わたしはこの「乳白色」と聞くと、聞きなれない言葉だからか、なんだか急に古典になった気がして、タイムスリップした気分になる。そして、必ず頭に思い浮かぶのは藤田嗣治の女性の絵である。
その言葉自体が画家の象徴となることは、フェルメールブルーしかり、とてつもなく偉大なことだと思う。
他、彼の多く描かれたモチーフは猫、子供、肖像画などがある。私は「アンニュイ」という言葉がぴったりあう画風だと思っている。
また、 彼の画風は西洋の油絵のような、油絵具を重ねて厚みを出す画法と異なり、薄く延ばして一筆で描いたような作品のため、油絵ながら、日本画のような雰囲気を感じる。
あまり遠近法を感じない、どちらかというと平面的な構図が多いため、そう感じるのかもしれない。
どこかエキゾチックな画風が、パリでうけたのではないかと思われる。
いつ読んだか忘れたが、この本は藤田嗣治の生涯を知るにはうってつけだ。藤田嗣治の伝記本である。
藤田嗣治の奥さんが存命のころインタビューをして書いているので、かなり忠実な内容だ。
エコール・ド・パリ時代の藤田嗣治の部屋なども忠実に書かれているので、容易に想像ができる。当時のモンパルナスの雰囲気なんてもう、たまらない。
藤田嗣治は、パリにわたり大成功をおさめたが、第二次世界大戦が勃発すると日本に帰国する。従軍画家として、戦争画を描くようになるのだ。
この時代の写実的な描写も鬼気迫るものがあって、才能を感じぜずにはいられない。
しかし、悲劇の画家である。
戦後「戦争責任」を問われる時代になると、藤田嗣治の戦争画は戦争の士気を鼓舞するとされ、戦犯に仕立て上げられてしまう。
彼の戦争画は栄光を描いたものではなく、むしろ戦争の悲惨さを描いた作品が多いのに、本当に残念なことである。
逃げるように日本を飛び出し、パリへ戻り、のちに永住権を獲得。晩年には、カトリックに改宗し、フランスで亡くなる。
いくらフランスで大成功したって、母国で評価されず、犯罪者扱いをされて、どれだけ傷ついただろうか。
わたしは藤田嗣治を思い出すと、当時の日本人がした過ちに苦しくなる。戦争の責任を押し付けて、今のうのうと、「再び才能を見直されている画家」といって恥ずかしくないのか。都合がよすぎないか。
ただ、私たちが今できることは藤田嗣治の作品を大事にすることしかできない。または今現在もしくは、これから生まれる芸術家を大切に守り、同じ思いをさせないようにすることしかできないのだ。(戦争が起きないようにすることが最も大事なことではあるが、話が変わってしまうため、ここでは控えさせていただく。)
以前BUNKAMURAで藤田嗣治の展示を見たことがあるが、今回も必ず行くつもりだ。
藤田嗣治が好きでないひとも、作品だけでなく、歴史の一面としてみるのもいいかもしれない。